第8回 友情について

 キケロの『友情について』とか、プルタルコスなら少しひねって『似て非なる友について』とか、「友情」は伝統的な主題だし、モンテーニュはもちろんこれらの古典を読んでいる。でも、モンテーニュが描き出した「友情」は、特別なものだ。『エセー』1・27の「友情について」は、ボルドー高等法院の同僚として知り合ったエチエンヌ・ド・ラ・ボエシー(1530-1563)との異常ともいえる友愛をめぐる濃密なディスクールで満ちていて、第三者がくちばしをはさむ余地もないような気までしてしまう。
 『自発的隷従論』の書き手として――写本で流通していたようだ――、モンテーニュは3歳年長のラ・ボエシーという存在を知っていた。ラ・ボエシーもまた、モンテーニュの噂を聞いていたらしい。なにせラテン語を母語として育って、6歳だかで、地元の名門コレージュ・ド・ギュイエンヌに入学し、ずっと年上の連中と張り合った神童なのだから。そして二人は、「人出でにぎわう、町の大きな祭りのときに、初めて偶然に出会ったのだが、たがいにとりことなり、すっかり意気投合して、結びついた」(1・27「友情について」)。モンテーニュによれば、「そこには、なにかしら説明しがたい、運命的な力が働いており、この結びつきのなかだちをしてくれた」のだった。それは、そんじょそこらの友情ではなかった。「世間のありふれた友情を、われわれの友情と同列になど置かないでほしい。わたしだって、そうした友情のことは、人並みに知っているし、そのなかでもっとも完全なものだって知らなくはない。でも[…]、通常の友情の場合は、手綱をしっかり持って、慎重に、注意深く進んでいく必要がある。それは、うっかりしているとほどけてしまうほどの結びつきなのだから」(1・27)。
 では彼らの友情はというと、「この高貴な交わりにおいては、ほかの友情をはぐくむような、奉仕だとか、恩恵は、考慮にもあたいしない」ものであって、「われわれの意志は、完全に融合している」(1・27)という。こうして彼は、次の有名なせりふを吐く。「わたしがお話ししている友情の場合、ふたつの魂は混じり合い、完全に渾然一体となって、もはや両者の縫い目もわからないほどなのである。もしだれかに、なぜ彼が好きだったのかと、しつこく聞かれても、〈それは彼だったからだし、わたしだったから〉と答える以外に、表現のしようがない気がしている」(1・27)。親しい友人たちはいても、「渾然一体」とはとても言いがたいわたしなどは、うなだれて、平伏するしかない。それにしても、「もはや両者の縫い目もわからないほど」というのは、モンテーニュならではのみごとな比喩だ。ところで、〈それは彼だったからだし、わたしだったから〉という、ある種有無を言わせぬいい方については、アンドレ・ジッドが異議を唱えている。ジッドは、恋愛ならば、その動機が〈それは彼だったからだし、わたしだったから〉でも、しっくりくるけれど、これはあくまでも友情なのだから、ちがうのではないのかとして、「モンテーニュがこの友情を描き出すために、その晩年に臨んでつけ加えた上記の言葉の価値を低く」評価したいと述べているのだ(「モンテーニュについて」渡辺一夫訳、『世界文学大系9』筑摩書房、所収)。わたしも、そこまで友情なるものを絶対化していいのかなとも思う。ちなみに、「晩年に臨んでつけ加えた」とは、この表現が手沢本での加筆ということである(ジッドは長い注まで付けて、この表現に疑義を呈している)。
 なお、これは友情であって、肉体的な同性愛ではない。そもそもラ・ボエシーは妻帯者だし、モンテーニュも、「ギリシアでは許容されていた、もうひとつの放埒さ」について、「完璧な結合や調和に対応するものとはいえない」、それは外見的な美に惹かれた激情で、「精神性への愛」ではないと明言しているのだから(1・27)。
 「わたしが話題にしている完璧な友情は、分割不可能なものであって、各人がその友に自分をまるごとあげてしまうので、ほかに分けるものなど残らないのだ。[…]ありきたりの友情は、それを分割することができる。つまり、この人間については、その美しさを、こっちの人間は、自由闊達な生き方を、こっちは気前のよさを、こっちは父親のような温情を、もうひとりは兄弟のような親しみをといったふうに、分けて愛することができる。でも、魂にまでとりついて、それを絶対的に支配する、あの友情は二人分にはなれない」(1・27)。引用を続けていたらきりがない。こうして彼は、若くして、「たったひとつの完璧な友情という美味」(3・3「三つの交際について」)を教えこまれてしまった。ラ・ボエシーの死後も、モンテーニュは彼の眼差しの元で生きる。その友情の決算というか、喪の儀式が、ラ・ボエシーの作品集を上梓することと、自分の『エセー』を刊行することだった。その『エセー』初版(1580)において、第1巻全57章の中央となる第29章には、ラ・ボエシーのソネット29篇を収めたことはよく知られている(ただし、晩年に削除する)。異様なふるまいとしかいいようがないが、その直前が第28章「友情について」なのである。あと一個所だけ紹介しよう——古典からの巧みな引用は省いて。「だが、こうした人生でも──あえて全生涯をといわせてもらうけれど──、それを、あの人との甘美なる交わりや付き合いを享受すべく与えられた、あの四年間と比較するならば、それはもう、はかない煙にすぎず、暗くて、やりきれない夜でしかないのだ。[…]われわれは、すべてを半々に分けていたのだから、今は、なんだか彼の分け前を奪っているような気がする。[…]そしてわたしは、なにごとにつけても、自分が二あるうちの一のようにできていて、それに慣れきっていたから、いまではもう、ただの半分になったみたいな気がしている。[…]なにをしていても、なにを考えていても、彼のいないことが淋しくてたまらない。それはまるで、彼がわたしのことを淋しがっているかのようなのだ。というのも、彼は、ほかの能力や美徳についても、わたしよりも断然すぐれていたのと同じく、友情のつとめについても、そうであったのだから」(1・27)。
 ラ・ボエシーが死んで四半世紀後、『エセー』生前決定版(1588)では、こんな境地が披露される。「わたしは本当の友情には精通しているのだけれど、そこでのわたしは、わが友を自分のほうに引き寄せるよりも、自分を友に与えている。彼がわたしに尽くしてくれるよりも、わたしが彼に尽くすほうを好むだけではなく、彼が、わたしよりも、自分の得になってくれたほうがいい。彼自身が得するとき、わたしももっとも得をするのである」(3・9「空しさについて」)。「分割不可能」なのだから、フィフティ=フィフティだと早合点してはいけない。むしろ自分を相手に与えるほうが得をするというのだ。「他人に自分を貸す必要はあっても、自分以外に自分を与えてはならない」([3・10]「自分の意志を節約することについて」)というのが、本来の彼の主義であったものの、この「縫い目もわからない」友情においては、やはり、自分の思い入れが深かったにちがいない。それに、われわれも、このような気持ちを抱くことはあるではないか。『エセー』の読者かどうかは知らないけれど、ラ・ロシュフーコーの「自分自身よりも友達のほうが好きな時でさえ、われわれは自分の好みと自分の喜びに従っている」(『箴言集』81、二宮フサ訳、岩波文庫)という皮肉を思い出さずにはいられないのだが。もっともその直後で彼が、「とはいえ、友情が真実で完全な友情になり得るのは、ひとえにこの、自分よりも好きだという気持ちによる」と、めずらしく純な気持ちを吐露していることも忘れまい。
 いずれにせよラ・ボエシーは死んでしまったのだから、一方的な思い入れも可能になる。このあたり、メルロー=ポンティの冷徹な見方が興味深い。「ラ・ボエシーに対する彼の友情は、まさしく〈他者にわれわれを隷属せしめる〉たぐいの絆であった。[…]彼はラ・ボエシーの目で見られながら生きていたのだ」、「彼にとって存在するとは、親友のまなざしのもとに存在することなのだ」と述べて、この哲学者は、「モンテーニュが自分に問いかけ、自分を研究するのは、ラ・ボエシーが彼を知っていたように、自らを知るためなのである」と述べる(「モンテーニュを読む」二宮敬訳、『シーニュ2』みすず書房、所収)。
 そのモンテーニュは、こうもいう。「彼にとっては、不在であることのほうが心地よく、有益だというのなら、わたしにとっても、彼がいるよりも、不在であるほうがはるかに気持ちがいいのである。お互いのことを伝えあう手段があれば、それは本当の不在ではないのだから。[…]肉体的な現前を飽くことなく渇望するのは、ある意味では、精神的な喜びの弱さの表れなのだ」(3・9「空しさについて」)。
 真の友の死による不在という「暗い夜」を乗り越えて、モンテーニュが達したところの、友の「不在」が心地よいという境地。「不在」によってこそ、真の再会がはたせるという逆説、フロイト流に精神分析することもできそうだ。 

(初出=雑誌『ふらんす』2016年11月号

◇宮下志朗(みやした・しろう)
放送大学特任教授・東京大学名誉教授。主な著書『本の都市リヨン』『神をも騙す』、主な訳書ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(全5巻)、モンテーニュ『エセー』(全7冊)

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