河野有理著『偽史の政治学 ——新日本政治思想史』あとがき(抜粋)

 本書を刊行するにあたり、収録することになった論文を改めて並べてみた時、第三章を除くすべてが二〇一一年三月に起きたあの震災以降に書かれたことに気づいた。第二章で明治の三陸大津波が、第四章で濃尾大地震が、第五章で大正大震災が、それぞれの議論の背景として取り上げられているのは、当時はあまり意識していなかったのだが、おそらく偶然ではないのだろう。
 三月十一日を東京・南大沢の研究室で迎えた私は、その月の二十九日、閑散とした成田空港からハワイ・ホノルルに飛び、Association for Asian Studies のカンファレンスにおいて第五章の下になる“Banzai and Iyasaka: Two Cheers for Democracy in Japan” を報告した。報告や質疑の内容は正直に言うとあまりよく覚えていない。滞在中は、計画停電下にあった東京の暗さとあまりに強烈なコントラストをなすまばゆい陽光に満ちたホノルルのビーチ横で、茫然自失してひたすらビールを飲んでいたことのみをかろうじて記憶している(パネル“Other language of Legitimacy: New Perspectives on the History of Political Discourse across the Tokugawa-Meiji Divide” を企画してくれたダビデ・メルバルトさん、コメンテーターを引き受けてくれた松田宏一郎さん、そして與那覇潤さんに李セボンさん、一緒にビールを飲んでくれてありがとう)。東北で被災した方々に比べれば、「経験」などという言葉を使う方がおこがましいような乏しい体験にすぎない。それでも、それまで自分が持っていた価値の尺度や方向指示器のようなものが根底から揺るがされたような思いがしたのはやはり否定しようがない事実なのだ。
 本書の第一章も、ゴールデン・ウィークの連休初日の四月二十九日に始まり、七月二十二日に終わった東京女子大学での公開講義「明六雑誌とその時代」が下敷きになっている。初回講義日が通常の大学の学年暦より大幅に遅いのも、やはりあの震災と原発事故によって、東京女子大学全学の授業開始が、繰り延べられたためである。講義中、幸運にも大規模な余震に見舞われることはなかったが、しばしば眩暈と区別がつかなくなるような軽微な余震は頻発した。
 鮮明に記憶に残っているのは講義参加者――学生だけでなく(概ね講義担当者よりはるかにご高齢の)学外の方々も含まれていた――の一種異様な熱気であった。毎回、講義の最後にはアンサーシートを提出してもらい、次回の講義冒頭で、いくつかのコメントを紹介するという方式を採用したのだが、力作ぞろいのコメントを前に嬉しい悲鳴をあげることになった。講義参加者の意欲がもともと高かったのかもしれない。だが、それだけではなかったのではないか。あの日の記憶がいまだに誰の脳裏にも生々しく焼き付いていたことが、そして余震を通して常にそれが喚起されつづけていたことが、関係していたのではないか。

 丸山眞男が、「これまでのあり方はあれでよかったのだろうか。何か過去の根本的な反省の上に立った新しい出直しが必要なのではないか、という共通の感情」によって結ばれていたという、敗戦直後の「悔恨共同体」の存在について指摘したのは、「近代日本の知識人」(一九七七年、『集』第一〇巻所収)でのことであった。ここで丸山は、「知識人が職場のちがいをこえてひとつの知的共同体を構成しているという意識が近代日本では成熟を妨げられてきた」としつつも、かかる「知性の王国への共属意識」の例外的な高まりを、三つのエポックに見出す。そのうち、最後のエポックが、敗戦直後の「悔恨共同体」であり、そしてその最初のエポックが明六社である――「在官であると在野であるとを問わず、彼等はあくまで明六社という知的サロンの同人であり、明六社の解散後もそういう知的共同体の成員であるという意識を持ち続けた」――というのである。
 明六社に関して言えば、丸山の見方は他の点についてはともかく、この点については基本的に正しい。彼らは、特定の真理をともに認識し、それを一般大衆に宣伝し、教化する、その意味での「啓蒙」集団などではなかった。彼らの意見は、しばしば相互に食い違っていた。彼らが共有していたのは、複数の異なる意見の存在は、避けがたい必要悪であるばかりではなく、むしろ望ましいことであるかもしれないという認識であり、意見の相違を恐れることなく自分たちの力で様々な事柄について一から考え直してみようとする態度であったように思われる。
 もちろん、二〇一一年のあの日に起きたことは「敗戦」ではなかった。また、「瓦解」でもなかった。とはいえ、あの日とそれに引き続く事態によってこの社会にもたらされた様々な混乱は、明六社の同人たちも直面していたであろう「マインド之騒乱」(福澤諭吉)を追体験する契機となったのかもしれない。明六社同人が、個別の意見の相違にもかかわらず、共有していた知的態度。それがいかに貴重なものであるのかを、私たちはいわばその身をもって知ることになったのである。「個々の閉鎖的職場をつなぐ共通の知的言語」(丸山前掲)の厚みと広がりが、この社会において、いまこそ試されている。そうした意識が漠然としてではあれ共有されていたことが、講義参加者の意欲を下支えしていたのではないか。
 二〇一一年初夏の教室にこもっていた熱気は、明六社の活動が現在の社会について一から考え直し、それについて他者と議論したいと願うすべての老若男女にとって今なお導きの糸になり得ることを、証明していたように思われた。白昼夢のようなホノルルの風景の中で陥った茫然自失の状態から、私がまがりなりにも抜け出すことができたのだとすれば、それは思えばこの熱気のおかげだったのかもしれない。

 丸山は、敗戦直後の「悔恨共同体」の限界を、まさにそれが「悔恨」共同体として成立したことに由来すると指摘している。「戦争体験が風化するように、「悔恨」もまた時の流れの経過によって風化を免れな」いというのである。では、明六社同人たちの「知的共同体の意識」はどうだったのだろうか。丸山自身は、この点、明治国家の制度化の進展に伴いそうした意識がやはり漸減していくと見る。だが、明六社同人たちに戦後知識人におけるような「悔恨」はおそらくなかった。だとすれば、なぜ「風化」したのか。いや、そもそも本当に「風化」したのか。「風化」したのだとすれば何がそれをもたらしたのか。「新日本」(明治の人びとは往々、江戸以降の時代をそう評した)の政治思想史を扱う本書全体を貫く問題意識がもしあるのだとすれば、それはこの点に関わっている。
 かつて藤田省三は、〈正統と異端〉研究会の中で、「真摯な異端」と「異端好み」を区別したことがある。「真摯な異端」が、少なくとも主観的には真理に(したがって正統に)コミットしようとしながらも、客観的な情勢の中で「異端」と見なされてしまう類型であるのに対し、「異端好み」は最初からそうしたコミットメントの意識を持たない。「偽史」という新出来の言葉(おそらくその誕生は一九七〇年を遡るまい)が漠然と指し示す領域は、おそらく藤田の言う「異端好み」と大きく重なるはずである。本書では「偽史」「異端好み」の政治学・政治思想の成立を一九三〇年代の権藤成卿に見た。そして、明六社同人の精神――それを特徴付けるのは阪谷素の真摯さである――の「風化」が語り得るとすれば、それはこのような意味での異端の誕生という地点に立ってのことではなかろうか、と考えた。
 震災後、曖昧で刺激的な「パワーワード」を元手にして、実に様々な人が(今度は例えばSNS上で)雄弁に持説を語り、人々を扇動しようとしたように見える。そこで用いられている言葉や概念は、では、正確にはどのような意味で使われているのか。そしてその言葉遣いは従来のそれと比べて果たしてどのように異なるのだろうか。そうした(阪谷が「翻訳」という言葉で示したような)営みは、この間、あまりに乏しかったようにも思える。そうこうするうちに、曖昧な語義や薄らいだ過去の記憶を鮮明にしようとする努力自体を放棄し、その曖昧さのままに自らの奉じる「政治道徳」に利用しようとする動きが党派の左右を問わず強まってきていはしないか。「偽史の政治学」という題名を考えていた際に(映画『シン・ゴジラ』を複雑な思いで見終わり、そういえば「シン日本」政治思想史はどうだろうなどと益体もないことを同時に考えつつ)思っていたのは、例えばこういうことだったのかもしれない。
[…]

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