小池昌代「詩と幼年──水の町の物語」詩に出会ったころ(20)クリスマスの手袋

 クリスマスの朝、枕元にプレゼントが置いてあるなんてことは、子供時代に一度として経験したことがない。だからサンタクロースの存在を信じたこともないし、クリスマスに親から何をもらったかなんて話題も、よその世界の話だと思ってきた。
 ファンタジーというものが住み着く隙間もない現実的な我が家だったが、それはどこか、母という人に似ている。母はわたしに夢を見させてくれる人ではなく、夢を覚まし、打ち砕く人だった。しかしそういう人が、わたしには必要だったのだろうと思う。
 とはいえ我が家に、クリスマスという日がなかったわけではない。その夜は、長男である父の家(我が家)に、結婚した叔父や叔母、その連れ合いなどがにぎやかに集まり、長机を出してパーティーらしきことをするというのが、ある時期、数年間の習慣になっていた。
 記憶に残っているのは、九歳のころのクリスマスだ。普段は暗い納戸に置かれた母の三面鏡が、その日だけは仏間に移されて、小さなクリスマスツリーの飾り台となる。誰の発案だったのだろう。おそらく母だ。
 ツリーは小さくしかも一個しかないわけだが、三面鏡のちからで、点灯する灯りも一挙に三倍。とてもクリスマスらしい、あでやかな空間が出現する。夢を打ち砕く、覚めた母は、どのようにすれば人が夢を見ることができるのかという、その仕組み自体はよく知っていた。じつにそれらしい空間を作るのがうまく、ひな祭りにしろ子供たちの誕生日会にしろ、少しの工夫でわたしたちに一瞬だけは夢を見させてくれた。
 クリスマスの夜もそうだった。ことさらお金をかけたものではなくとも、工夫された手作りのいつもとは少し違う華やかな料理が食卓に並び、叔父叔母は一様に、「お義姉さん、大変だったでしょう」と母をねぎらう。本当に母は頑張ったと思う。子供たちはまだ小さく、当時はすでに祖父がおらず、家事能力のない祖母を立てながらも、なんでも一人でやらざるをえなかった。子供たちの枕辺にプレゼントを置くなんて、そんなおしゃれなことは考える余裕もなかっただろう。
 料理の最後には、いつも「焼きリンゴ」が出てきたが、それも母が、オーブンならぬ「天火」で十個以上、せっせと焼くのだった。焼きリンゴの上には、溶けた砂糖か蜂蜜か、いずれかが焦げて香ばしい匂いをたてていた。大人たちはみんな喜んだが、わたしは好きにはなれなかった。フレッシュなリンゴをなぜ焼くのだろう。もう、そこからしてわからない。焼かれたリンゴは無残にもシワだらけ。おばあさんみたいに茶色く縮んでいた。いま、わたしは大人になって、リンゴをせっせと焼いて食べる。焼きリンゴには大人を狂喜させる何かがあるが、それは子供にはついに理解の及ばぬものであるのかもしれない。
 嫌といえば、皆の前でジングルベルを歌わされたり、ピエロのような三角帽をかぶらされたりするのも嫌だったけれども、写真のわたしはどれも笑っている。クリスマスの日には、大人も子供も、どこかで一生懸命、この日のための役を演じる。
 ある年、一度だけのことだが、わたしと妹は、忘れられないクリスマスプレゼントをもらった。親からではない。叔母からのプレゼントだ。叔母には子供がいなかったので、クリスマスには子供にプレゼントをあげるものだという、一種の固定観念から用意してくれたのかもしれない。それでもうれしかった。
 リボンを解き、箱をあけると、赤い皮の手袋が現れた。手首のところに白いうさぎの毛の縁取りがついている。グリム童話のなかのお姫様が身につけるような手袋だった。
 当時わたしが身につけていたのは、母の編んだ毛糸の手袋。親指以外は袋状態になっているという、いわゆるミトンの手袋である。かぎ針編みで、青色とピンク色が縞模様になっている。わたしはその色彩がどうしても好きになれなかった。むしろピンクだけ、青だけであったのならよかったのかもしれない。ところがこの二色が組み合わさると、なぜだか生理的な嫌悪感がわきあがる。その理由は今もわからない。どうしてもその組合わせが嫌なのだ。けれど文句を言えるわけもなかった。それをはめなければ、寒い思いをして、手にあかぎれをつくるだけ。
 しかし嫌なものを嫌だと思いながら、はめているうち、あきらめなのか慣れなのか、だんだんとそれがどんなものより、わたし自身のように思えてくる。あの不思議な感覚は一体なんだろう。嫌だ、嫌だと思うものこそが、自分自身を作っていく。
 比べてうさぎの毛のついた赤い手袋は、わたしが永遠にあこがれる何か。「わたし自身」にはなりようもない何かだ。それはいつも、わたしの外にある。確かに学校にして行くには上等すぎた。子供社交界みたいなものがあるとして、そんなところだったら似合うかもしれない。
 実際、あの手袋をわたしはどんなところへはめていったのだろう? 驚くべきことに、まったく記憶がない。
 記憶に残っているのは、繰り返すが、嫌だなあと思いながらはめていた手袋のほう。なくなってしまえばいいと思ってみても、右と左が毛糸でつながっていたものだから、ついに落とし物にさえ、なってくれなかった。消耗され、使い古され、大人になる途中のどこかで、それはたぶん意識的に捨てられた。
 一方の赤い手袋は、あたかも湯にとかした砂糖のように、母にうち砕かれた夢のごとくに、記憶の彼方へ消えてしまった。消え方からして夢そのものだった。
 冬、デパートの手袋売り場で赤い皮の手袋を見ると、今でもちょっと眼がとまる。毛糸で編んだものよりは、相当に高い値がついている。いいなと思い、一瞬迷う。はめたところを想像する。でも買わない。買うのはいつも、結局、毛糸の手袋だが、ピンクと青の組合わせではもちろんない。探そうとしてもあんな手袋は、母以外の誰も作らない。

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