第4回 冬の庭:ルネサンス植物学の世界

 凛冽たる風が肌を裂き、枯葉舞う荒涼とした冬の欧州。花壇に咲き笑っていた百宝色の花々は見る影もなく、植栽は葉を落とし、凍てつく冷気が噴水を氷らせる。園芸植物の大半が死を迎えるこの季節ほど、庭園を語るに難しい時もない。
 けれども庭園史の周辺を詳しく見ていくと、「冬の庭」なる不思議な用語に出くわす。そのどこか詩情を感じさせる言葉は、霜降る白銀の苑を詠った句か、あるいは厳冬にも耐えうる常緑樹の園を指す語か——。種明かしをしよう。「冬の庭」とは、ルネサンス期に盛んに制作された押し花状の植物標本集、ないしは植物図譜集の別称である。その名の由来を説明するには、少しばかり科学史の知見が必要になる。
 人々が自然との敵対をやめ、科学的精神に鼓舞されて山野を踏破し、古代以来の規模で詳細な自然誌を織り紡ぐようになるのが、いわゆるルネサンスの頃だ。発見と探索の時代と呼んでもいい。新大陸への植民やアジア諸国との交易の拡大によって、ヨーロッパにはそれまで知られていなかった蛮産の文物や異邦の民芸品、エキゾチックな珍花奇葉・珍獣奇鳥などが大量に流入した。印刷術の発明が、情報の洪水に拍車をかける。この種の物と情報の爆発は、中世までの安定した世界観を大きく揺さぶった。
 こうした一種の情報・メディア革命に対処する方法のひとつが、蒐集という営為であった。物であれ情報であれ、とにかく増えたものを増えた分だけ集めてしまうのだ。集めて、腑分けし、掌握する。実際ルネサンス期には現代の博物館や美術館に通じる施設が叢生し、あるいは百科全書のたぐいが盛んに編まれた。その動きと平行して、自然科学の分野では十六世紀の中葉に、教育と一般公開を前提とした植物蒐集園、すなわち植物園が誕生した。一五四〇年代のイタリアで設立されたのを皮切りに、ヨーロッパの各地で同類の施設が続々と造られてゆく。
 植物園とほぼ同じ頃に誕生したのが解剖劇場である。中央の解剖台を囲んで擂り鉢状に座席が連なる医学教室だ。庭と劇場は二つで一つ。当時の医学教育においては、製薬の知識に必須の植物学と、医科学の基礎となる解剖学とは、相互に補完しあっていた。ハーブや花卉が生い茂る春から盛夏にかけては、医学生は植物園に出て陽光の下に学び、庭が枯れ野となる晩秋から冬季の間は、室内で人体解剖にいそしんだ。防腐剤の発達していなかった当時、解剖が可能なのは冬だけであった。
 けれども一年を通じて植物学の研究を続けたい。特に冬場に植物を枯らさぬ方法はないのか。そんな願いをかなえるべく開発されたのが押し花、正式には腊さくよう葉標本とよばれる研究教材だった。たかが押し花とあなどることなかれ。標本の色彩と形状を可能な限り保持する技術は、特殊な薬品の開発をともなう大変困難なものだったという。まさに黎明期の植物園の知的活動を支えた重要なテクノロジーであったのだ。
 冒頭で触れたように、そんな二次元の乾燥標本や写実的な植物図譜を集めて綴じたものが、いつしか「冬の庭」と呼ばれるようになった。その書をひもとけば、たとえ厳寒のさなかにあっても、『あらし』(シェイクスピア)に登場する魔術師プロスペローの杖のひと振りのごとく、たちどころに繚乱する百花が咲き笑う陽春の庭がたち現れる。一見無粋な学術教材にこんな振るった名を付けた者は、なかなかの詩人だったにちがいない。

◇くわきの・こうじ=大阪大学准教授。専門は西洋建築史・庭園史・美術史。著訳書に『叡智の建築家』、『ルネサンスの演出家ヴァザーリ』(共著)、カナリー『古代ローマの肖像』、ペティグリー『印刷という革命』など。

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