小池昌代「詩と幼年──水の町の物語」詩に出会ったころ(22)女の子

 ある日、友達の家へ行く。
 女の子数人。あたたかな昼間の部屋。
 いつしか遊びに飽き、なんとなく手持ち無沙汰になったときだ。気づくと一人の女の子が、うつぶせになって下半身をもごもごと動かしている。その家の娘だった。何してるの? と聞かなかった。もしかしたらその行為を、すでにわたしは知っていたのだろうか。夜、朝、昼、時間帯を問わず、一日の隙間のような時間に、自分の指先が自分の生殖器に触れる。ある時は偶然に、ある時は好奇心から、そしてある時は意志をもって。そのようなときの熱を帯びた快感。
 わたしたちはまだ小学校の低学年だった。同じ部屋に、その子のお母さんもいた。お母さんはそのとき、ごまかすような、かばうような笑顔を浮かべ、私たちに向かって何かを言った。その言葉を覚えていない。
 あの子を、仮にえりこちゃんと呼ぼう。えりこちゃんは誰に対しても怒るということがなかった。いつものんびりとした、気持ちのやさしい子で、傍へ行くと穏やかな気持になれた。後に見初められて、はるか年上の財閥と結婚した。そのあとのことをわたしは知らない。
 わたしたちはまだ初潮も知らなかった。しかし動物の直感と率直さで、気持ちのいいことと、いけないこと、そして、たとえ気持ちがよくても、いけないという範疇に入ることをすでに知っていたような気がする。
 ひとときのうつぶせ運動からおきあがったえりこちゃんは、とろりとした目でわたしを見ると、ほがらかにつぶやいた。「こうするととっても気持ちがいいのよ」。
 女という性にわたしたちは生まれた。だがそのことを、最初、どのようなかたちで受け止めたのだったか。
 川風のそよぎ、差し込む太陽光、水のきらめき。校庭は土でなくアスファルトだったが、東京下町にも「自然」はあった。煙突から煙がたちのぼり、後に明らかになる土壌汚染が徐々に進行しつつあった頃だ。町には街路樹があった。木の影が伸びていた。夏になれば蝉が鳴き、道端には青いツユクサも咲いていた。わたしたちはそれらを全身の皮膚で受け止めた。
 好きな子と手をつなぐのは無上のよろこび。嫌いな子と手をつながされるのは、全身がびりびりと震えるような嫌悪感。表皮が剥がれ落ちる皮膚炎の男の子と手をつながされたこともある。伝染るような気がして、ひどく気持ちが悪かったけれども、振りほどくことはどうしてもできなかった。
 母のコートの襟についた、黒い毛皮に頬を寄せるのも好きだった。動物の毛にはうっとりするような感触があった。そしてあれは気持ちがいいといったらよいのか、むず痒いといったらいいのか、なんとも微妙な気持ちになったのが、散髪屋さんで最後、襟足にカミソリを当てられるとき。そそけだつ不思議な感覚は襟足にとどまらず腰のあたりにまで及び、そのこそばゆさは我慢できないものではない。我慢ならないのは、剃ってくれている散髪屋のおじさんに、それを気取られることだった。だからわたしはいつだって必死に素知らぬふりをした。まったく何も感じていないふりをした。
 そのようにして一つ一つ、肉体に刻まれていったものは、まだその意味を知らない幼い頃は、すべてひとつの袋に入っていて、そこから、性的なものだけを引き抜いてくるようなことはできない。逆の言い方をすれば、自然との交歓も、人や物との接触も、すべてが性的なものであるということもできた。
 その下には、ふてぶてしい肉体が広がっているにしても、驚くべき鋭敏さをまとった幼児の皮膚である。それはただの薄い表皮ともいえず、何か心のようなものと直結している。いや、皮膚そのものが心なのだった。
 あのころわたしは、少年であり少女だった。虫や鳥、あるいは植物のようでもあったかもしれない。女の子であるという幅はいかにも狭く、わたしという存在はもっと広がりのある、「何でも屋」ではなかったか。だから女の子であることだけを押し付けてくるようなもの言いや人は、窮屈だと思った記憶がある。たとえばピンクという色をわたしは嫌悪した。赤も好きではなかったが、ピンクほどではなかった。ピンク憎悪は、単なる好みの問題? それとも社会的圧力への反抗だったろうか? あるいは、わたしのなかの性的混乱? 
 とにかく好むものは、たいてい男の子用として売られているデザインや色で、ランドセルだって、赤やピンクより黒がよかった。その意味では狭い好みを持っていたともいえる。もちろんうちの親が用意していたのは赤いランドセルで、わたしは素直にそれを背負った。大人になった今は、赤いランドセルを買う平凡な親のほうをむしろ好ましく思うが、当時のわたしはそんな具合に、面倒な一面が頑固にあった。大人がすすめるのは、すべて子供らしい可愛いもの。だが子供が子供らしいものを好むわけではない。わたしのような子はきっと今もいるだろう。甘いものより、おつまみのようなものが好きで、カワイイものにアレルギーがあるような子。大人ってほんとにわかっちゃいない。わたしはすでに諦めを知っていた。
 学校ではただ一人、安西さんという女の子が黒いランドセルを背負っていた。素敵だなとわたしは思った。だがそういうものを背負わされた子供は、案外、「皆と同じ赤いランドセルが欲しかった」などと思うものだ。安西さんの本音はわからないが、優等生の彼女は、いつだって誇らしげに背筋を伸ばし、その背に乗った黒いランドセルも、そんな彼女にとても似合った。彼女には、下町に舞い降りた鶴のようなお母さんがいて、その美貌と頭の回転の速さで、親たち、先生たち、子供たちを圧倒していた。あの母だったら、赤より黒を選ぶだろう。だから黒いランドセルは、お母さんの趣味だったかもしれない。
 裁縫箱の注文が来たとき、わたしは迷いもなく青を選んだ。ピンクか青か、好きな方を自由に選んでよかったが、実際、家庭科の時間になってみたら、青いのを持っている女の子はわたし一人だった。けれども、もう、恥ずかしいとは思わなかった。「青」は今に至るまでわたしの色だ。深い海の青からゴミバケツの青に至るまで、すべての青は、わたしの魂の色だと思う。
 だが大人になったある日、自分の詩集のカバーに選んだのはピンク色の和紙だった。ふと、ピンクを使って見ようと思ったのだった。あれは一種の「解放」あるいは「解禁」だったのかもしれない。わたしはピンクと和解したのだ。女であることと和解したのだ。自費出版だったから希望は叶えられた。そして見返しの色には灰色を選んだ。灰色は青の次に好きな色だが、一般には、地味でくすんだ婆臭い色と言われる。喪を表す色でもある。だがわたしには、この上なく品格の高い色に思える。ピンクに取り合わせる色として灰色ほどふさわしいものはない。
 女の子としての肉体を備えながら、まだ女であるといえなかったころ、すなわち性のまざりあったころの感覚を、今、わたしは懐かしく思い出す。もう一度、あの球体ごとき全身で、世界をくまなく感受してみたい。風、空、海とまざりあい、樹木に抱きつき、抱擁しあう。人はもうこりごりだ、花になりたい――そう思った七歳くらいのあの日から、わたしは樹木との性交を夢見ていたような気がする。幼年期の肉体は、皮膚を通して世界と交わる。生殖につながらない観念の性交。不毛の夢。侵入を許さない自己完結したオナニズムの世界。それはまた、一編の「詩」にも似ているのだった。

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