小池昌代「詩と幼年──水の町の物語」詩に出会ったころ(23)靴紐

 このあいだ、渋谷のスクランブル交差点を暗い気持ちで歩いていた。何か考え事をしていたり、暗い気持ちを持っていたりすると、視線は自ずから下方へ向かう。
 ふと横を見ると、高校生らしき男子の足元が目に入った。片方の靴紐が全部解けていた。右の靴は無事だった。その子は片方が解けたままの靴をはいて、まるで疾風のように歩き去っていった。
 心が一気に解放されて、解けた靴紐、いいなあと思った。
 足元だけが広げる世界がある。顔や体でなく、足だけを見る。色とりどりの靴があり、靴下があり、解けた靴紐がある。自由がある。自分の紐に足をかけて転ぶ危険だってないわけではないけれど、その子が驚くべき速さで消えてしまったこともあって、そんな心配はおしのけられてしまった。
 後ろ姿を追いながら、心の内には解けた紐の残像だけが残った。歩きながら、そのリズムに言葉が次第に歩み寄る。それがかたまりになると、歌のような詩のようなものになっていく。
 帰宅してから、そのとき浮かんでメモも取らなかった言葉を紙の上に並べてみた。書いてみると、さきほどの現実がすこしずれて、また違うものが現れてくる。

 渋谷のスクランブル交差点を
 ひとりでつっきっていったきみ
 きみ かたほうの靴紐が
 ほどけたままだよきみは
 どこへ行くの
 背中に
 翼の芽が生え始めたきみは
 会いにいくべき誰かを持たず
 向かうべき場所があるわけでもない
 燃えろよ燃えろ学校燃えろ
 ののしられ
 否定され
 中傷され
 ばかにされ
 それでも敵を愛せと言われ
 髪の毛とよぶな
 あれはたてがみ

 体が動くと心が動く。暗く一箇所にとどまっていた心にこうして血が通い、動き始める。
 後半に学校が出てきたが、ちょうどこれを書いているいま、各地で入学式が行われている。祝うべき新しい門出だが、その日を前に命をたつ子もいた。
 わたしは学校が燃える夢を見たことがあるし、わたしの子供が、学校燃えろ、とつぶやくのを聞いたこともある。燃えろよ燃えろ学校燃えろ。そうつぶやいて、燃える学校を想像すれば、学校を燃やさずにすむかもしれない。
 解けた靴紐から思いがけないところへ飛躍してしまった。解けた紐が、わたしのなかの凝り固まった血を再び押し流してくれたのだろうか。
 解けた紐で思い出すエピソードがある。詩人の立原道造に関することだ。わたしは渋谷の交差点で出会った彼に道造の面影を重ねていたかもしれない。
 詩人の杉山平一さんが、初めて立原道造に会ったときのことを書いている。まだ名乗らぬうちから、黒の編上靴の紐が全部解けている人物を見て直感的に、これは詩人だ、立原道造にちがいないと思ったという。杉山さんは東京帝国大学に学び、立原道造の後輩にあたる。見る者と見破られた者。両者のあいだに電流が走った一瞬だったろう。
 ただ、病弱で二十四歳で亡くなった道造のこと、靴紐が解けているとわかっていても、きっちりと結ぶ体力・気力がすでになかったのかもしれない。知ってそのまま放置したとしたら、それはそれで少しせつない。
 いずれにしてもポイントはあくまでも、靴紐を「解く」のではなく、靴紐が「解ける」という点にある。
 意志を持たない靴紐が、まるで「我、解けるぞ」と決めたみたいに、するりと解けてしまう。解けるという自動詞自体に、無意識がうごめく気配があり、そこに感染したわたしたちは、紐を通して何か人の力の及ばぬ不可思議な領域に接触する。
 結んだり解いたりしながら、わたしは何を触ってきたのだろう。目が忘れても手は覚えている。

 祖母や母は、家のなかに実に多くの紐類を所蔵していた。祖母は着物を日常的に着ていたから、常に何本かの布紐が必要だった。母の代になると日常着は洋服で、着物は特別の日の衣裳だったが、しかしそれにしては多すぎる数の布製の紐が、ごろごろしていた。縛られるものに比べて、縛るほうの紐の数が圧倒的に多かった。わたしが覚えているのは、縛るものがなくて、それ自体で結ばれ仕舞われている紐の姿だ。縛るものがないときに、紐はそうして自分自身を縛る。なんという滑稽な、あわれな姿だろう。
 紐の管理者たち――祖母も母も、使わないなら処分すればよいのに、そういうことはまるで考えもしなかった。今は死んでいても、いつかきっと役に立つときがあり、そのときには息を吹き返すのだから――と言わんばかり。紐を生き物のように大事に飼育した。
 布紐のほかに組紐もあった。組紐は紙袋の取っ手などに使われたり、服飾や手芸などの材料にもなる。家には色とりどりの組紐が、手芸店のようにロールに巻かれてごっそりあった。組紐は使えるようで使いようがない。しかし捨てるのには躊躇するところがある。結局、使われないまま、今、わたしの手元に来て、異様な存在感を発揮している。
 紙紐もあった。こちらは菓子箱などを包んでいた使用済みのもの。丁寧にたたまれた紙紐は再び何かを縛ることを夢見ながら、結局、茶箪笥の奥で古びていった。
 母たちが紙紐を必要としたのは、誰かに何かをさっと包んで差し上げるときに便利だからだった。つまり自分のためではなく、よそさまのため。むかしの生活には、直接、家を訪問しあうというゆとりの習慣があり、当然そこにはちょっとした物のやりとりが発生した。紙紐は買うほどのものではないが、有れば重宝する。物を結ぶばかりでなく、紐は人の関係を結んできた。
 形状は同じ「ほそながいもの」だが、紐より長い毛糸もあった。こちらは結べない。編み込むことになる。解けるにしろ、解くにしろ、その長さゆえに時間もかかる。編み物を見て思うのは、編み込まれている時間のことだ。紐の生涯を「詩」の潔さにたとえるなら、毛糸の生涯は、どうしたって「長編物語」になるだろう。

 編み物の好きな母、出費を惜しんだ母は、自分が子供のころから手編みに勤しんできた。弟や妹たちのために編み、結婚してからは娘たちのために編む。
 一度仕上がったものでも、解けば毛糸の再利用ができる。解いたものは洗い、汚れや癖をとり、他の毛糸を混ぜて、違うセーターに編み直す。
 わたしはよく、セーターを解くのを手伝った。解くのは母。毛糸だまにして巻き取るのはわたし。向き合っての作業となるが、話がとぎれると、しゅるしゅると巻き取る音だけが聞こえる。その間(ま)のことを、むかし詩に書いた。書いてみると経験は抽象化され、母もそして巻き取っているわたしも消えた。二人のあいだの毛糸も見えなくなり、音も聞こえず、それでもただ、巻き取られていくものの気配があって、それを時間といってもよかった。
 物たちを詩に書いてみると、こうして人間の姿が消え、かわりに命を得た物や、見えない、感じ取るしかないようなものたちが動き始める。その面白さ、不気味さは、幼年を生きた者たちなら、よく知っているはずだ。たとえ記憶に残っていなくても。
 そのころわたしは詩など書かなかったが、わたしに詩人だったときがあるとすれば、幼年時代をおいて他にない。

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