第5回 神々と英雄の庭:シュメル神話とギルガメシュ叙事詩の世界


フンババ像、ルーブル美術館(Wikimedia Commons)

 四大文明発祥の地のひとつであるメソポタミア地方は、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた広大な沖積平野である。今日でこそ寂寞たる砂漠のイメージが強いが、今から五千年ほど前には、特に北方の山岳地域は豊かな植物相に恵まれ、温順な気候のもと、花笑い樹果がこぼれる魅惑の森が広がっていたという。実際この地域の神統記を編んだシュメル神話を繙いてみると、神々が庭を丹精し、あるいは並木の緑陰で恋に落ち、人間の英雄たちと交わる物語が楔形文字で数多く綴られている。
 メソポタミアで最初の庭の記述が収録されているのが、「イナンナとシュカレトゥーダ」の伝承だ。まずエンキ神が登場し、地上最初の果樹としてナツメヤシを生み、庭園を作ってシュカレトゥーダを世話役とした。その美苑があまりに心地よげであったため、地上に降臨した女神イナンナがおもわず木陰でうたた寝をしてしまう。その麗姿に庭師が欲情して襲いかかり、怒った彼女が報復を画策——と、話の主筋は紛糾してゆくのだが、注目すべきは冒頭の造園描写だ。シュカレトゥーダは庭の管理を命じられたものの、強風が砂塵を巻き上げ、草木を根こそぎ吹き飛ばしてしまう。そこでポプラを植えると、その葉叢が風を防ぎ、高い木立が投げる涼やかな木陰には色とりどりの花果が咲き笑ったという。女神が午睡をむさぼるほどであったというから、よほど快美な苑であったのだろう。荒ぶる自然を馴致し、甘美な理想の風景を造りだす、そんな造園術の真髄がここには語られている。
 そのイナンナはまた、別の神話でもお庭好きの側面を遺憾なく発揮する。ある時、ユーフラテス河畔に生えていた世界樹の大木が、いまにも倒れそうなのを見つけた女神は、その霊木に宿る力を見抜き、居城のウルク市に持ち帰って自分の庭で大事に育てた。ところが十年の歳月が流れるなかで、その木にはいつしか怪鳥、悪霊、蛇が棲みつき、女神を悩ませることになる。結局彼女は兄弟神の力を借りてなんとか厄介者を追い払うのだが、つくづく樹木運(?)がない女性だ。だが愛すべきキャラクターでもある。イナンナはアッカド語ではイシュタルといい、愛と豊穣の女神にして戦争と破壊を司る大地母神でもある。その属性はそのまま、古代の庭と自然の関係の寓意だったのかもしれない。
 もうひとつ、シュメル神話には見逃せない物語がある。有名なギルガメシュ叙事詩だ。イシュタル(イナンナ)の守護都市ウルクの君主ギルガメシュは、半神半人の英雄であったが、その暴政が目にあまり、懲罰として神々が送り込んだ巨人エンキドゥと戦うはめになる。しかし二人のあいだにはいつしか友情が芽生え、あるとき杉の森の悪しき番人フンババを、協力して討伐することになった。おそらく原生林ではなく人工林であったのだろう。フンババが徘徊すると、径路がたちまち整調の美を競い、大杉の樹陰は快適で喜びに満ちていたという。さてギルガメシュとエンキドゥは見事フンババをたおし、その首級をあげて都市に凱旋するのだが、実はこれがのちに二人の運命に暗い影を落とすことになる。ともあれこの物語には、人口稠密になった都市部が、良質な建材をもとめて山岳地帯に遠征を行なった記憶が、どこかで反映しているのだろう。
 メソポタミアの豊沃な緑地は『旧約』で語られるエデンの園の原郷であるといわれる。いわばヨーロッパの庭の源泉だ。かつて神々が憩い、英雄たちが遊んだ伝説の美苑が、今では神話の中でしか見られないのは、少々寂しい気がする。

◇くわきの・こうじ=大阪大学准教授。専門は西洋建築史・庭園史・美術史。著訳書に『叡智の建築家』、『ルネサンスの演出家ヴァザーリ』(共著)、カナリー『古代ローマの肖像』、ペティグリー『印刷という革命』など。

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