藤井光「『煙の樹』をめぐる冒険」


酷使されてやややつれ気味の訳者と、満足げな作者。
熊の形の丸太に置いてあるブロック材に"Writer's Block"と書いてある

 — 1 — 
「こんにちは、デニス」
「遅れてしまってすまないね」
「いえいえ、気にしないでください」
「いや、申し訳ない。でもさ、ここまで三時間運転してきたんだよな」
「それはまた……」


 二〇〇八年の夏、僕は『煙の樹』の原書を片手に、ワシントン州のスポケーン国際空港の到着ロビーをさまよっていました。しばらくすると、僕と同じくらいの背丈のずんぐりした男がやってきました。『煙の樹』の作者、デニス・ジョンソンです。写真で見た印象よりも気さくな、腰の低い雰囲気の人で、待ち合わせに数分遅れたことを気にしている様子でした。
 ジョンソンの自宅はアイダホ州北部にあります。毎年夏、自宅に客を招いて、ジョンソン曰く「カオス週間」を開催しているとのことで、トロントにいた僕も招待されました。もちろん行きますよ、と返事したものの、車の運転ができない僕が、公共交通機関もないアイダホ州にたどり着く方法を見つけることは不可能でした。さてどうしようと思っていたところ、ジョンソン本人が「じゃあ俺が迎えに行ってやる」と言い出して、最寄りの空港であるスポケーンで待ち合わせとなりました。彼の家から、片道三時間です。翻訳者が初対面の作者をここまでこき使うのはどうかと思いましたが、他に手段もないので、お言葉に甘えてアイダホに連れていってもらいました。
 アイダホは、ジョンソン的な土地です。一九七〇年代に突然独立を宣言した先住民の居留地や、なぜか廃材で複葉機の実物大レプリカを見事に作り上げた人の家などを次々に通り過ぎていくにつれ、『ジーザス・サン』に登場したような、人生の「まっとうな」軌道から外れていくアウトロー的な人々は、この土地から着想を得たのかもしれないな、と感じました。しかし、ジョンソンに言わせれば、「こういう連中のおかげで、アイダホの物価は安くなっていたのに、最近はそうでもないんだよな」とのことです。どうやら、この程度の「カオス」では不満な様子でした。一度動き始めたらとことん限界まで突き進む、そんなキャラクターたちを描き続けてきた作家ならではの台詞かもしれません。

 — 2 — 
「ヒカルも可哀想にな。こんな仕事するとは思ってなかっただろ」
「僕はちょっと違う『共同作業』を予想していましたよ」
「これを経験したわけだから、正確で立派な翻訳になると思うぞ!」


 翻訳者である僕は、当然ながら『煙の樹』や創作についての話を期待していたのですが、ジョンソンは僕に別の期待をしていたようです。山麓に位置する広大な敷地のあちこちに、今年やってくる知り合いのために丸太小屋が建てられていました。その内部にロフトを取り付けて寝泊まりしやすくする、というのが目下ジョンソンの最大の仕事でした。一足先にやってきたせいで、僕がその作業に駆り出されることになりました。キャビンのあちこちに巻き尺を当て、計算した長さに木材を切り取って、必要な用材を揃えました。
 しかし午後になって、その木材を運び込んで打ちつけようとすると、あちこちで寸法が合いません。というより、計算が正確だったところはほぼ皆無でした。「はて」とジョンソンは考え込んでいました。「俺には計算違いの才能があるらしいな」そういえば、『煙の樹』のあちこちにも、人数や日数の計算ミスがあったような……(作者と相談のうえ、翻訳では訂正済みです)。そんな茶目っ気もまた、彼の小説におけるひねくれたユーモア精神に一役買っているようです。
 ジョンソン本人の口から小説に関して多くは語られませんでした。しかし、ヒントは意外なところにあるもので、ジョンソン家で飼っている大型犬は「大佐」と呼ばれていました。そのいかめしい面構えと、妙に人懐っこい性格を見るにつけ、『煙の樹』の物語の中心となるフランシス・サンズ大佐に見えて仕方ありませんでした。戦争に人生のすべてを捧げる一方で、人を惹き付けてやまない魅力の持ち主であるサンズ大佐のキャラクターは、この犬がモデルだったようです。アイダホから帰ったあとは、サンズ大佐が出てくるたびに、その犬のことを常に思い浮かべながら翻訳していました。
 ジョンソン家にやってきて二日目から、ゲストが次々に到着し始めます。「ヒカル、今日からはすごい変わり者と相部屋になるぞ」と言われて、誰が来るのかと思っていると、やってきたのはEli Horowitz 、文芸誌McSweeneyʼsの編集者でした。実際の彼は物静かで親切な人でした。しかし、口を開けば、作家の朗読と曲芸師が剣を飲み込むショーを合体させたときの話など、やはり変なエピソードが出てきます。そんな彼が号令をかける形で、若い作家や詩人が総掛かりで小屋を一つ建てることになり、僕もまたもやそこに駆り出されました。作家によっては、翻訳者や編集者は思わぬ仕事をせねばならないという教訓だろうと思いますが、Eliは嬉々として大工仕事に汗を流していました。

 — 3 — 
「そのブロック材は手みやげにするのか?」
「あなたにあげようと思って。"Writerʼs Block"(執筆スランプ)と書いておきました」
「そりゃいい。まさに今の俺のことだ」


 ジョンソンは『煙の樹』に続く小説、"Nobody Move"の執筆を終えたばかりで、しばらくは何も書かないつもりでいるようでした。創作活動の集大成と言うべき『煙の樹』を終えて、連載の締め切りに追われながらさらに一冊書き上げた直後だけに、相当消耗していたのかもしれません(彼は腰痛に悩まされていましたが、これは大工仕事に張り切りすぎたことが原因だったようです)。
 アイダホを去る前に一つだけ、ジョンソン本人の口から聞きたかったことがあります。『煙の樹』の舞台となるベトナムを始めとして、アメリカが関わる戦争を描くだけでなく、『ジーザス・サン』のジャンキーたちの世界など、彼の作品は「戦場」という言葉でしか表現できないような世界を創り上げています。僕はそのわけを尋ねてみました。ジョンソンの眼光は一瞬鋭くなりました。「創作とはそういうものだからだ」というのが彼の答えでした。アメリカ内外の戦場に身を投じ、その炎で自らを焦がすことによって、一つ一つの物語を生み出してきた、そんな誠実な作家ならではの言葉を反芻しつつ、アイダホからの帰途につきました。
 そんなジョンソンが、自らの魂を奥底まで焦がして書き上げた小説が、『煙の樹』だということになるでしょう。彼の作品を読み終えたあとはいつも、何か言葉にできないような「体験」をしたという感覚があるのですが、この小説はその最たるものだと言えます。どの場面にも荒々しさとリリカルな感性がみなぎっていて、心底「しびれる」という感覚を絶えず味わうことができる小説です。『煙の樹』の登場人物の言葉に、「冒険とは終わってみるまでは楽しくないものだ」というものがありますが、この小説の翻訳という冒険は、最初から最後まで幸福感に満ちたものでした。物語に「しびれる」という感覚を翻訳でどこまで表現できたのか、僕には分かりませんが、少しでも多くの人にジョンソン・ワールドの目撃者となっていただけることを祈っています。

◇初出=「出版ダイジェスト 白水社の本棚」No.150 2010.2→3(2010年3月11日発行) 

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