岡崎武志「愛書狂」第42回

 

三月八日付け『朝日新聞』の「声」欄に、21歳大学生からの「読書はしないといけないの?」なる投書があった。某君は高校生までまったく読書習慣がなく、大学へ入って、必要から専攻する教育や社会一般の本を読んだが、「読書が生きる上での糧になると感じたことはない」。それが問題視される方がおかしいという▼後日、これについてどう思うか、賛否の意見が寄せられ、議論はさらに再びくり返された。「大人は読書を押しつけないで」と同調する中学生、「人との出会いを求めるなら」と諭す中年など様々。私はこのやりとりを不毛に思い、冷たく見ていた。もちろん、投書した某君は、読書する必要などまったくなく、そのまま一生を終えればいいのである。ただ、気の毒な人だと思うが……▼読書体験に見返りや理屈は要らない。幼い頃に一度その喜びを知れば、頭より先に、身体が欲して止まないというだけのことだ。本は情報を盛る皿ではなく、読書は何より、深い感動が根底にある体験である。「声」欄の某君は、幼少時に絵本や児童書、青春期に文学の洗礼を受けていないようだった。痩せた土地に、いくら水や肥料をやっても、芽は出ず、花は咲かない▼先日地下鉄で、こんな光景に出くわした。男子小学生が、背が取れかかってボロボロの歴史漫画の本を、夢中になって読んでいたのだ。父親の本だろうか。降りる駅が来て、少年は起ちあがったが、本は手に開いたまま。彼なら大人になっても「読書しないといけないの?」と悩むことはないだろう。私は心の中で拍手を贈った。 (野)

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