第6回 楽園と庭:ギリシア神話の世界から


▲ヘスペリデスの苑から黄金の果実を奪い取るヘラクレス(スペイン国立考古学博物館)
(図版出典:Wikimedia Commons)

 茫漠たる地中海の西の果て、内海と外洋の境界を画するジブラルタル海峡——「ヘラクレスの柱」(=世界の果て)の別称をもつその海門をさらに越え、果てしない西方の大海の彼方に、神々の庭が浮かぶという。美しいニンフの姉妹たちが住まうその清福の島には、黄金の実をつける果樹が亭々と茂り、その聖なる美果を食したものは永遠の生命を手に入れられる。ところが神樹の葉蔭には恐ろしい竜が住みつき、不遜な侵入者の接近を許さないとされる——ギリシア神話に語られる「ヘスペリデスの苑」だ。この伝承には、洋上の仙境、不死を約する果実、神々の聖婚を起源とする豊穣祈念など、人類の記憶の古層と結び付いたさまざまな原型的イメージが幾重にも折り畳まれている。なかでも我々の心を奪うのは、楽園と庭の密接な融合である。
 いつの時代、どの文明にも、幸福と平和と豊穣に満ちた原初の時代という観念があった。古代ギリシアには、ヘスペリデスの苑の他にも、黄金時代の神話としても語られる楽園のイメージがある。たとえばヘシオドスは『仕事と日』の中で、老病を知らぬ壮健な人々が、穏やかで快美な気候のもと、毎日を祝祭と饗宴に明け暮らす太古の時を、黄金の輝きに重ねている。大地を耕さずとも五穀百果が自然と実り、美しい花々と清冽な泉水に囲まれて、神々のごとく無憂安逸に暮らしていた至福の時。孤島であれ豊沃な原野であれ、それらの悦楽境の情景は、不思議と庭の姿と重なる。我々はいつから庭園を楽園に擬してきたのだろうか。
 はるか悠久の古代、人がいまだ広漠たる自然のうちに渾然と同化し、素朴な暮らしを営んでいたころ——まだ庭園と呼びうる人為の空間は存在しなかっただろう。庭が生まれるには、衣食住が足りたのち、ただ審美の目的のためだけに自然の切片を囲い込み、そこに文化の施しをする必要がある。そうしてできあがった庭の敷地の内では、荒ぶる自然のはらむ偶然性は厳格に排除され、ただ人にとって心地よい要素のみが極限まで増幅される。そんな心地よき場(ロクス・アモエヌス)としての庭が、やがて楽園の観念をおぼろげに映し出すようになったのも、自然の成りゆきといえようか。失われた神仙境や黄金時代を、せめて囲い込んだ小さな土地の中だけでも回復したい。そんな憧憬のあらわれこそが庭であった。
 興味深いのは、西欧文化においては楽園と庭が、語源の点でも強い結び付きを見せていることだ。そもそも楽園/天国を意味する「パラダイス」の語は、メディア語で「囲われた狩猟園」を意味した「パリダイサ」(pairidaeza)を起源とする。この語がアケメネス朝ペルシア経由でギリシアに入って豪奢な王庭を指す「パラデイソス」(paradeisos)となり、これが紀元前三世紀の七十人訳聖書の翻訳に際してエデンの園を指す言葉として採用された経緯がある。そして地上の楽園を指すパラダイスは、新約聖書においては天国を意味する語とも見なされた。つまり天国(パラダイス)は語源を辿ってゆくと庭園に行き着くのである。天国をこの地上に実現・招来することはすなわち、大地を造形して美しい庭を作り上げることに等しかった。
 とはいえキリスト教文化が発展してゆくなかで、古代ギリシアの異教的楽園観が消滅することは決してなかった。ルネサンス期イタリアの黄金の庭園文化において、ヘスペリデスの苑や黄金時代の神話は、造園の格好の着想源となってゆく。それらの美苑名園については、いずれご案内することにしよう。

◇くわきの・こうじ=大阪大学准教授。専門は西洋建築史・庭園史・美術史。著訳書に『叡智の建築家』、『ルネサンスの演出家ヴァザーリ』(共著)、カナリー『古代ローマの肖像』、ペティグリー『印刷という革命』など。

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