しかしゲルマントという名を聞くと、ルグランダンの碧い目のまんなかに、見えない針で突かれたかのように褐色の小さな瑕(きず)がさっとはいるのが見えたが、そのとき瞳の残りの部分はやがて空色の波をにじませて、それをかき消した。
はるか昔、アテネ・フランセに通ってフランス語の勉強をしていた頃の話である。ともかく手当りしだいにとれる限りのコースをとっていたが、語学の勉強の中心と思っていたのは、クレディフというオーディオ・ヴィジュアルなフランス語教育コースであった。このコースの最初の頃、マダム・コルテスという先生の指導を受けた。たいへんに厳しい先生で、耳と口に徹したフランス語教育を実践され、授業中にノートをとるということを絶対に許さなかった。クラスの開講の時に、それを私たちに告げ、違反は許しませんと断言した。私のクラスには、現在の私よりももっと年上だったと思われる、かなり年輩の男性の生徒がいた。おそらく、先生であるマダム・コルテスよりも、ずっと年上であったと思う。ある日の授業の時、その人が机の上でノートをとっているのを見つけた先生は、ものも言わずにツカツカと歩み寄り、机の上からノートをサッと取り上げると、私たちの目の前でそれをバリッと二つに裂き、床の上にバサッと投げ捨てた。その激しい剣幕に私たちは肝を潰し、シーンとなってしまった。先生は恐い顔で私たちを睨みつけ、「このクラスで使ってよいのは口だけです。手を使ってはなりません」と、冷ややかに言った。あの時のマダム・コルテスの、いささかヒステリカルな声と恐い表情は、その後しばらくの間、私のフランス語の勉強を、徹底的に耳と口に限定させるに充分な効果があったことは事実である。
クレディフが進んでくるにつれ、だんだんと文字を読み、文字を書くことも許されるようになった。そんな頃の私のクラスの先生は、ムッシュー・ボームルーという、大きなふっくらした方だった。ボームルー先生にはお嬢さんがいて、彼女もまたアテネ・フランセで教えていた。私たちのクラスが期末試験を終えた時、彼女は父親の教室、すなわち私たちのクラスにフラリと姿を現し、「試験が終わった時、フランスの学生たちは、《Arrosons !》“如雨露(じょうろ)で水を撒(ま)こう”って言って、皆で飲みに行くのよ」と、私たちに教えてくれた。そこで私たちも《Arrosons !》、山の上ホテルの「シェ・ヌー」に繰り出して試験終了を祝った。もちろん、ボームルー先生とお嬢さんも一緒である。こんなふうにしていると、試験もまた楽しい行事の一つとなった。
そのうち、ボームルー先生のクラスでは、テキストとしていろいろな文学作品の抜粋を勉強するようになった。冒頭に挙げたプルーストの『失われた時を求めて』の第一篇である『スワン家の方へ』に出てくる、ルグランダン氏と主人公の「私」との会話の場面も、この時に読んだものの一つである。
典型的なスノッブであるルグランダン氏は、「私」が「あなたはあの方……あの方がた……ゲルマント家のご婦人方をご存じでしょうか?」と尋ねた時、「いいえ、私はどの方も存じません」と答えるのだが、その言葉が彼の口から発せられる前に、冒頭に引用したような精神性散瞳反応が生じ、そして、「瞼の縁の隈(くま)は黒くなり、垂れさがった。そして苦(にが)い皺(しわ)の一本刻まれた口はつともとにかえって微笑を浮かべたが、まなざしはまるで体中に矢をうけた美しい殉教者のまなざしのように、依然として悩ましげだった」という記述が続く。そして「いいえ、私はどの方も存じません」と答えながら、「これほど簡単な情報提供、これほどなんでもない答えにたいして、彼は、これにふさわしい普通の、自然な調子を与えないで、一語一語に力をこめ、身をかがめたりうなずいたりしながら、きれぎれな調子で答えた」。スノッブのルグランダン氏は、自分が高貴な身分のゲルマント公爵家の人々との交際がないのは、自分の家の慣習や、主義の違いによるものであるという印象を「私」に与えるために、このようなもってまわった態度をとったのである。
ルグランダン氏の言葉と表情のそんな表現的な複雑さとは裏腹に、彼の瞳孔が実に単純明快な反応をしていることを、プルーストは見逃さなかった。ルグランダン氏の碧い目は、老人特有の縮瞳した瞳孔のために虹彩の色だけがきわだって鮮やかである。そこに、突如として小さな褐色の瞳孔が、碧い目にぽっかりと開いた針の穴のように拡がってくる。しかし、ただちに瞳孔はまた縮瞳し、碧い目だけが残る。交感神経の一瞬の活動をこれほどみごとに記述した文章は他にはないだろう。私は、この美しい表現が大好きになった。正直に言うと、原文のテキストを初めて読んだとき、une petite encoche brune(褐色の小さな瑕)という部分がぴんとこなかった。字引をひくとencocheというのは矢筈(やはず)のような刻み目のことだと書いてあり、よくわからなかったのだが、これが瞳孔のことだと気づいたとたん、全ての疑問が解けたことを思い出す。
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神経内科医の文学診断 岩田誠 著 脳と神経の第一人者が、谷崎潤一郎『鍵』、プルースト『失われた時を求めて』、タブッキ『レクイエム』など30作品を診る。全く新しい視点から小説を読み解く知的エッセイ。 |




