──『寂聴伝 良夜玲瓏』
昭和三十一年の夏、晴美は小田仁二郎の執拗な勧めで、雑誌「新潮」の全国同人雑誌推薦作に応募する。同賞は昭和二十九年に創設され、昭和四十二年まで十四回続けられた賞だ。賽は投げられたという運命的な予感が晴美をとらえていた。かつて住んだ北京で見聞したことに想像をまじえた小説「女子大生・曲愛玲」は幸運にも入選十篇の中に選ばれ、「新潮」十二月号に掲載されただけでなく、翌三十二年、昭和三十一年度の第三回新潮社同人雑誌賞を受賞する。入選作の十篇は、「流茫」(津田信)、「合はぬ貝」(梶山季之)、「水」(榊原慶明)、「小さいひとり」(清水邦行)、「女子大生・曲愛玲」(瀬戸内晴美)、「呪文脱出」(夏堀正元)、「土手」(北海青)、「バクダン師たち」(松村肇)、「苦い乾杯」(伊達弘邦)、「淡彩画」(佐藤安彦)で、「女子大生・曲愛玲」と「苦い乾杯」の二篇が残って、決選投票となった。
選者は佐藤春夫、井伏鱒二、大岡昇平、伊藤整、永井龍男、中山義秀、高見順、三島由紀夫。「新潮」(昭和三十二年一月号)に選評が発表されている。
「その年は不作で、選ばれた十篇の出来が悪いとある。私の作品も、辛うじて当選したという模様であったらしい。佐藤、井伏、三島の三氏が好評をくれ、大岡氏が酷評であった」
「ひとえに運が好かったのだ」と晴美は後に書いている。佐藤春夫は、「反PTA的なとも思ひながら、それでも、その要領のいい(限界を心得た)エロティシズムと文章の比較的読みやすいのとを推した」と言い、三島由紀夫は、「官能性の一語を以て推す。曲愛玲の色気が大そう感じられて、レスビアン・ラヴそのものの色気の足りないのは残念だった」。井伏鱒二は、「決選投票のとき私は色慾描写を買う意味で『女子大生・曲愛玲』に票を入れた」。伊藤整は、「一応うまいもので一票を入れた。結局外に目ぼしいものなく、この作が当選したが、描写の各細部がもの足りない」というものであった。
晴美は「受賞の感想」で、
「十篇の一つに選ばれたことさえ、意外で、嬉しく、躍り上ったくらいなので、受賞だと、友人にしらされ、はじめて新聞をみた時はがくがくふるえがきました。まだ、急に夢が覚めるのではあるまいかというような薄気味悪い気持です。その一方、賞金もらったら、何はともあれ、原稿用紙を一連刷り、国産万年筆を一本買いましょうと、そわそわ考えたりもしています。私のこれまでの作品は、すべて、小田仁二郎氏の激励と指導のもとに生れました。この喜びと光栄は、小田さん並びに乙同人の方たちと分ってもらうべきだと、やはり、それが、何にもまして嬉しく思います」
と述べている。授賞式は同人雑誌の主宰者も同道という規則で、同人雑誌にも賞金が出るというので、晴美は小田仁二郎とふたりで出席した。晴美は記念品にオメガの赤革の折りたたみ式時計と、副賞として五万円をもらった。「乙」にも五万円が授与された。
(本文より)
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寂聴伝 良夜玲瓏 齋藤愼爾 著 一身にして二生も三生も経るがごとき、苛烈にして波乱万丈の生の軌跡を、渾身の力を込めて書き下ろした初の評伝。未知の光芒を放つ文学空間を出現せしめた作家の、創造の秘密を解く。 |



