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ちょっと立ち読み
目からウロコと皮肉な笑いの小谷野節全開!
──『猫を償うに猫をもってせよ』

 私は、飛行機に乗れない。もともと苦手で、カナダ留学中も、機内で閉所恐怖のパニックを起こしかけたことがある。一九九四年の暮れにシンガポールへ行った時は、精神状態が悪く、あと一時間というところで本当にパニック発作を起こしてしまい、目をつぶって脂汗を流しながら「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えてひたすら耐えた。以後、外国へは行っていない。しかし一九九九年から、飛行機が全面禁煙になってしまったので、病気があろうがなかろうがどのみち乗れなくなった。ただ、九五年ころは、これではいけないと、何度か東京—大阪間を乗ってみて訓練したのだが、やはりダメだった。以後は、二○○二年に金沢へ講演に行った時、あまりに列車で行くのが遠回りだったので、帰りは小松空港から一度だけ乗ったが、その間ずっと固まって耐えていた。もっとも喫煙可であれば今なら国内便くらいは乗れると思う。

 乗れた当時も、機内では一睡もできず、機内で文庫本を読んでいても、機体ががたがた揺れると、その間恐怖に耐えているから、本が手の汗でびっしょり濡れてしまったりした。閉所恐怖症は子供の時以来で、そこへ仕事を始めて以来のストレスでそうなったわけだが、怖いから煙草を吸って何とか紛らわそうとしているのに、それすらできないのだから無茶な話である。当初三、四年は、悲観したものである。同業の学者はよく外国の学会に出張したりしている。私とて、世界を飛び回る学者とかいうものになりたいという夢はあった。私の海外経験は、中学生の時の一カ月の米国でのホームステイと、二年間のカナダ留学と、シンガポールの学会出席だけである。ヨーロッパへ行ったことがない。行ってはみたい。

 東武伊勢崎線沿線に、「東武ワールドスクエア」という、世界中の観光地、凱旋門とかエッフェル塔とかを大型のミニチュアにして展示している場所があるが、ここを訪ねたのは、二冊目の著書を出し、再び黙殺される恐怖から精神状態が悪かった時のことで、当時は急行列車に乗るのも怖かったから、自分はこれらの実物を見ることはできないのだと思って涙が出てきた。通俗恋愛小説のように、ヨーロッパのパリやらアムステルダムやらへ飛んで、そこに滞在中の知人女性を訪ねたりして、ちょいとその雰囲気なりと味わってみたかった。「飛行機に乗れない」と言うと、しばしば「船で行けば」などと言う人がいるのだが、それは要するにその間仕事ができないということだ。ただ最近、いずれ暇とカネができたら、船かシベリア鉄道で行ってみようかと思うようになったが、調べてみると、今は単純に海外へ行くための旅客船というのはなく、クルージングか世界一周の船に便乗させてもらうしかないようである。みんな飛行機、平気なのだなあ。

(生活編「飛行機とわたし」より)


猫を償うに猫をもってせよ
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猫を償うに猫をもってせよ

小谷野敦 著

一人で泊まったラブホテル、もてない大女から持ちかけられた共闘話、スポーツと性欲の関係など、社会風俗から専門の英文学まで、幅広い知見を駆使して縦横に語りつくす過激な評論集。
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