菊池寛は、一度玄関ホールの階段の下にあるトイレに一歩踏み出したが、止めた。腹の痛さが増してきたからだった。下のトイレは、和式である。腹の出た菊池寛にとって和式に座るのは、苦痛であった。自分の部屋には洋式がある。階段に足を掛ける。眩暈がした。腹がますます痛くなってきた。
三、四段上がったところで足を止めた。変だ、ふらつく、何だろう、治ったはずだが、あのときより痛くなった感じがする。
ふと芥川の悲痛な顔を思い出した。以前、菊池寛が原稿を書き終わり、文藝春秋に向かう車の中だった。黒のパッカードだったと思う。運転手が、「先生、芥川先生じゃないですか」と言って車を停めた。
車のそばに、芥川龍之介が立っていた。その日は、社で重要な会議がある。会議の後、そのまま水戸と宇都宮へ講演に行かねばならなかった。原稿に時間がかかったせいで、それでなくてもだいぶ遅れている。菊池寛は、焦っていたのだ。
芥川龍之介と目が合った。菊池寛は、車のノブを回し、窓を開けた。
「芥川、すまん、急ぎなんだ。明後日帰ってくるから会おう」
菊池はそう言って車を出させた。菊池は、講演先で芥川の自殺を知った。
自分は、人生で悔やむことは、一度もなかった。しかし、芥川の件は、悔やんでも悔やみきれない。あのときと同じ空気や、同じ風を感じたとき、かならずといって親友芥川の悲しげな顔を思い出す。
今もそうだった。そんなとき、かならず直木三十五の顔も思い出した。彼に孫ができたばかりだった。麹町元園町に新しくつくった社のクラブだった。一週間彼と将棋の勝ち負けを戦っていたときだ。どうも具合が悪いと言っていたが、あっけなく死んでしまった。死んだ後、庭に捨ててあった勝ち負け表を拾ったが、どこにしまっただろう。冷や汗のような汗が額に溜まりだした。痛さは、激痛に近くなってきた。寝室から風呂場に入った。洋便器の黒い木の蓋を開く。座った。痛みが上がってきた。胸だ、あのときの胸の痛みだ。あのときよりひどかった。心臓を素手でわしづかみされたような痛みだった。気も遠くなりだした。菊池寛は、精一杯の力を振り絞り、息子の名前を呼んだ。
「英樹、英樹!」
* * *
川端康成の名を呼ぶ司会者の声は、マイクを通じて境内の参列者たちの耳にも届いたので、焼香をすませて立ち去ろうとした者たちの足が止まった。
川端はゆっくりと立ち上がり、正面祭壇の遺影の前に進んだ。
上体が前に折れた姿勢が、彼の小柄な身体をなお一層小さくみせた。けれど、ぎょろりとした大きな目とその目の鋭い眼光には変わりがなかった。
川端康成は、遺影に一礼し、家族、親族、そして二百人近い来客にも頭を下げた後、再び遺影に向きなおった。
その肩は震え、嗚咽が漏れていた。
川端は、幾度も遺影に頭を下げてから弔辞を開いた。
手にした弔辞を入れた封筒と弔辞を書いた和紙は細かく震えていたが、「弔辞」を読み始めた彼の声は、しっかりしていた。
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祖父・菊池寛創立の文藝春秋で活躍したその孫が、偉大なる文豪・プロデューサーが駆け抜けた59年の生涯に迫る。
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菊池寛急逝の夜 菊池夏樹著 快気祝いの宴を襲った突然の悲劇。祖父創立の文藝春秋で活躍したその孫が、親族の証言などをもとに、偉大なる文豪・プロデューサーが駆け抜けた59年の生涯を、その日から迫る。 |



