……『ヴェルサイユ宮殿に暮らす 優雅で悲惨な宮廷生活』
大餐が行なわれなくなっても、国王付きの調理部、パン部、ワイン部には、一七八〇年の改革までかなりの数の人員がおかれていた。だが、国王の食卓における浪費は、単に人に壮大な印象を与えるためだけのものではなかった。食卓の残り物は官僚から下っ端の雇われ人にまで順々に回されていったのである。
手をつけられなかった料理──「デセール」と呼ばれた──は、四分の一(カルティエ)勤務で給仕係侍従を務める九人と、そのほかの五人の官僚に配分された。二人の食膳係(セルドー:語源は「水を供する者)が、国王が食事をした部屋から、大共同棟の一階にある給仕係侍従の食堂まで料理を運んだ。この大きな食堂自体も「セルドー」と呼ばれ、シュールアンタンダンス通りの角にあった。給仕係侍従はおのおの自分の従者一人を食卓に招く権利を持っていたので、国王のために準備された食事が順々に二つの食卓を満たすことになった。しかしそれでも量は豊富で、食膳部の官僚たちはあり余る残りをさらに小売商たち(食膳商)に売ることができた。こうした小売商たちは、城館や閣僚棟、大法官府に隣接する通りまで続いている坂の大共同棟の壁沿いに、木製や石膏にスレートを重ねた露店を設ける許可を得ていた。通りに面した壁面の上半分には蝶番がついていることが多く、開くと台になった。町民、兵士、使用人たちはこうして順繰りに回されてくる王の食事のおこぼれにあずかることができたのだ。回されてきた食べ物は、再度加熱されたり、並べ替えられたり、見た目を整えられ、さらに腐敗の始まったことを隠すべくソースがかかっているのが常だった。
国王の居室や衣装部屋や聖堂で勤務するもっと下級の官僚たちのためには、以前ポスト通りと呼ばれたシャンセルリー通り(現在のピエール=ドゥ=ノラック通り)に面して、大共同棟の一階の三つのホールに五つの副卓が用意された。大共同棟の中庭とレコレ通りとのあいだに設けられた「共同食堂」では、だだっ広い広間で食事が用意された。煙突と肉焼オーブンから出る熱気を揶揄して、この広間は「地獄」と呼ばれた。
(「食事──豪華な食事は誰のものか」より)
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ヴェルサイユ宮殿に暮らす
優雅で悲惨な宮廷生活 ウィリアム・リッチー・ニュートン 著/北浦春香 訳 豪華絢爛な建物の内部は226の居住空間からなる巨大迷路。18世紀、ここには王を頂点に1000人以上がひしめきあって暮らしていた。雅びにみえる貴族たちの日常生活とは!? |



