……『浦からマグノリアの庭へ』
僕は一九九七年の秋からほぼ八年間、パリの北の郊外サン=ドニにあるパリ第八大学の文学部に留学していた。帰国までの五年近くは、パリから電車で南に一時間ほどの距離に位置する地方都市オルレアンに住んだ。
パリの大学に所属しているのに、どうしてオルレアンに住むことになったのか?
留学して一年が経ったころだ。パリ第八大学と東京大学とジュネーヴ大学の共催で「文学作品」をめぐるシンポジウムがパリで行なわれた。留学生である僕は会場のマイク運び係をおおせつかった。そこに、それぞれの発表のあとに必ずといってよいほど質問し、その声や仕草から伝わってくる真剣さがとても印象的な教授がいた。
すべての発表者の話を集中して聞き、それに対する問いを見つけることがどれほど困難であるかは想像がつくと思う。この手の催しでは、悲しいかな、質問者が「質問」ではなくて「答え」を、つまりご自身のありがたい御説を時間など気にせず延々と開陳するなんてはた迷惑なことが起こりがちである。だが、その小柄で痩せた教授はちがった。あくまでも発表内容に関わる問いをていねいに投げかけている。しかも、よくもまあそんなに次から次へ出てくるものだと驚くほど、いろんな作家や作品(しかもフランス文学に限らない)を引き合いに出してくる。その質問が意図において真摯であり内容において的確であると安心しているからだろう、彼が挙手してもいないのに同僚の教授たちは僕にしきりに手を振って、彼のところにマイクを持っていけと合図を送るのだった。そのため僕はヒナに餌を忙しく運ぶ母鳥さながら、何度も彼のもとに舞い戻ることになった。
シンポジウムが終わったあと行なわれた立食の懇親会の会場で、その教授が微笑みながら僕に近づいてきた。
「ずっとマイクを持っていたのに、どうしてきみは喋らなかったんだい?」
「だって馬鹿だからです」
すると教授はすごく嬉しそうに笑って言った。
「そりゃ奇遇だねえ。実は僕もそうなんだよ」
それが当時パリ第八大学文学部教授であったクロード・ムシャールさんだった。
クロードは妻のエレーヌさんとオルレアンに住んでおり、シンポジウムの二年後には、二人の所有するオルレアンの家の一角にあるアパルトマンに、僕は妻といっしょに移り住んでいた。家には大きな中庭があり、春には美しい花を咲かせ、夏には涼しい木陰を作ってくれるマグノリアの木が一本あった──このエッセイのタイトルにある「マグノリアの庭」である。
(本文より)
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浦からマグノリアの庭へ
小野正嗣 著 美しく咲くマグノリアの大きな庭で、僕は故郷についての小説を書き始めた――ブリリアントな作品で注目を集める作家・小野正嗣が初めて贈る待望の「自伝的エッセイ+文学論」集成! |



