一九七三年の冬、俺は一文無しでバークリーに着いた。コミューンで共同で使っているヴォルヴォを乗り回していた女が、夜中にテレグラフ・アベニューで降ろしてくれたのだ。
このころにはもう、ピース、ラヴ、フラワーの時代は、熟しすぎて単に狂ってるだけだった。すっからかんの、どうやって我が身の世話をしたらいいかも全然わかってない若者たちが、テレグラフ・アベニューのキャンパス付近を、ぞろぞろと何百人も、狂おしい疲労困憊状態で、ゴミの山を蹴飛ばしながら、何かの集団パニックか大きな災害の余波のただなかにあるみたいにして歩いていた。街灯のオレンジ色の光を浴びて、みんな見るも無惨な姿だった。
俺のような人間にとっては幸い、バークリーは慈善事業が盛んだった。毎日、二つの教会で、いっさい何の説教もなしに、一方が無料の昼食を、もう一方が無料の夕食を出していた。四つ角三つぶん延びた行列に並ぶ気さえあれば、誰も飢えたりはせず、コーヒー味の粉ミルクと、白パンのピーナツバターサンドがもらえた。ほかの場所には、無料のシャワーがあった。普通の大きさの、一人用シャワーだったが、まだ入り込む余地がある限り、みんな裸になって入っていって、体を洗いはじめた。何人いるのかも、男だか女だかも関係なかった。
俺は見栄っぱりだったから、乞食をやるなんてまっぴらだった。でも、バークリー・フリークリニックに雇われて街頭で募金を集めるのならまあよかった。毎朝鍵のかかった小さなコインボックスを渡されて、街頭へ送り出された。自分の取り分は三割で、一日やればたいてい一ドルか二ドルになった。時おり、小型トラックかなんかを持っている商売っ気のあるヒッピーに雇われて、そいつが請け負った運送の仕事を手伝った。時給二ドル、がらくたをゴミ捨て場までに運んでいくなかで、本とかがあったらいくらでももらえた。あるとき、『写真で見る歴史 第二次大戦時代』という何巻本もの本を見つけて、四ドル五十で人に売った。これがバークリーに住んでいるあいだに、一度に稼いだ最高の額だ。またあるときは、一人のおばあさんのすごく小さな庭の芝を刈ったのと引き替えに、朝ご飯を食べさせてもらった。すごく小さな家のキッチンで、おばあさんは朝飯を作って出してくれた。俺にはエキゾチックな取引に思えたけど、向こうにしてみれば大恐慌の時代と同じだった。
俺の最大の野心は、一クォートのビール、マリワナ一本、サンドイッチ、そして何らかのねぐら、これを全部一日に手に入れるだけの資本を蓄積することだった。一度だけ、けっこう小銭が集まって、ディスカウントのビールで酔っぱらってもまだユースホステルに泊まる金が残ったけど、ユースの雰囲気っていうのはまるっきり刑務所みたいだった。男同士の友情、みたいな感じで、抑圧された暴力の予感がみなぎっている。それでもこっちは、自分の身に何が起ころうといつの日かそのことを小説に書くんだと思ってる若造だったから、そういう雰囲気も一晩くらいならそんなに嫌じゃなかった。
あとはいつも、近郊の山で、屋根もなしに野宿した。誰にも邪魔されなかった。朝になってねぐらを離れるときは、寝袋を丸めて藪のなかに隠した。夜に戻ってくると、寝袋はかならずそこにあった。雨が降ったらテレグラフ・アベニューに戻るしかなかった。やっぱり穴蔵から追い立てられた、いろんなタイプの宿無し連中と一緒に、建物のひさしの下で雨をしのいだ。俺たちは寒くて、濡れていて、誰も金なんか持ってなくて、ろくにドラッグも持ってなかった。一人だけ、ゴールドフィンガーっていう名前で通っている若い男が、いつも金色のペンキのスプレー缶と、靴下を片方持ち歩いていて、スプレーの中身を靴下に吹きつけて、思いっきり吸い込んでいた。そいつは手も鼻も口も金色だった。
そうやって、テレグラフ・アベニューで、俺たちは六〇年代の残りかすを飲み干した。べつに絶望感みたいなものはなくて、むしろ、たがが外れたという感じだった。意味のない物質主義と、嘘で固めた画一主義の束縛から俺たちは解き放たれたんだ、そう思っていた。いまはただ流れに任せてのたうってるけど、そのうちに新しい形の人間的自由が見えてくるんだ、そういう気分だった。実際のところ、俺たちはただ落ち込んでいただけだと思う。まるっきりのキ印もいたと思う。ドラッグなんかやったって無駄だった。
いまや中流階級に属す中年男となった身からふり返ると、あの場を動かしていた、争いもなく悩みもない自由な空気だと俺たちが思っていたものは、そこらへんの犬の飼育所の空気と似たり寄ったりだったと思う。女たちはいつも決まって、「よう、あんた男いるの?」と声をかけられた。男がいない女には、次は「Wanna ball? 一発やらない?」とか「Wanna get high? ハイにならない?」と言った。
女を引っかける文句として、Wanna ball? はうまく行ったためしがなかった。Wanna get high? の方は時にうまく行った。俺は一度も使わなかった。ウェストコーストを北へ南へうろうろしていたあいだ、俺は一度も女とくっつかなかった。俺に言わせれば、自分以外の人間に分けてやるドラッグなんてあるわけなかったのだ。
俺にとって、これはただの幕間だった。二か月もすると、躁病状態のテレグラフ・アベニューを離れて、アリゾナ、フィーニックスにある親の家で綺麗なシーツにくるまって眠っていた。仕事にもついていた。その後まもなく大学に戻って、向こうがいさせてくれるあいだずっと大学にいた。
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(『ニューヨーカー』二〇〇二年四月二十二/二十九日合併号) HOMELESS AND HIGH Japanese language translation rights arranged with the author via Robert Cornfield Agency, Inc., New York through Tuttle-Mori Agency., Inc., Tokyo |
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ジーザス・サン デニス・ジョンソン著/柴田元幸訳 緊急治療室でぶらぶらする俺、目にナイフが刺さった男。犯罪、麻薬、暴力……最果てでもがき、生きる、破滅的な人びと。悪夢なのか、覚めているのか? 乾いた語りが心を震わす短編。 |



