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小池昌代・岩本正恵【対談】翻訳すること/詩を書くこと

『青い野を歩く』刊行記念
小池昌代さん・岩本正恵さんトークショー(1)


2009年12月17日(金)19時〜 於:ジュンク堂書店池袋本店内 喫茶スペース

岩本正恵:今日は年末のお忙しい中、お集まりいただきありがとうございました。小池昌代さんからはこの『青い野を歩く』という短篇集に「粉々になった心を抱き、静かに生きる人びとがいる。荒々しい自然と人間の臭み、神話の融合した小説世界は、洗練とは逆を向きながら、ぞっとするほどの、透明な悲哀を抽出する。放心した。すばらしい小説だ」というこの本についてこれ以上何も言うことはないほどの推薦文をいただきました。小池さんはどのあたりがいちばんお気に召したのでしょうか。

小池昌代:これは私が今年読んだ本の中で、本当にベストワンです。白水社の方からの依頼で書いたので、前もってこれがいいなと思っていたわけではなく、向こうからポーンと飛び込んできた小説だったんです。私が読みたい世界にぴったりの作品でした。本当にすばらしくて、今日は言葉がいらない、これを読んでくださいと言って私が立ち去った方がよいくらいの本だと思います。岩本さんもこれは偶然出会われた作品なのですか?

岩本:一昨年に白水社の方から何冊か預かった中の一冊でした。一篇目の「別れの贈りもの」の、冒頭の二つのパラグラフ、日本語ですと僅か8行ですが、その力強さに圧倒されまして。これはアイルランドの農場で育った18歳の少女が、先のない生活に嫌気が差して、奨学金を得てアメリカへ留学する朝を描いているんですね。その朝目覚めて、いよいよ今日が旅立ちの日だという思いを8行で見事に描き出しています。

小池:私もずっと翻訳小説を読んできているのですが、最近面白いなと思うのは大抵イギリスやアイルランドの小説なんですね。イギリスは洗練されている感じがしますけれど、アイルランドの小説はもうすこし野性味があってとても魅力的です。例えばウィリアム・トレヴァーという小説家も現在はイギリスに住んでいますがアイルランド生まれですし。現代作家の中でもアイルランドで生まれたすばらしい作家がたくさんいて、よい翻訳がたくさん出ている。岩本さんもアイルランド小説に対して思い入れがおありになると思いますが、訳されていてどんなところが魅力でしょうか。

岩本:土臭さ、でしょうか。小池さんには「人間の臭み」と評していただきましたが、どうしても心の中にけものの部分がある、クレア・キーガンの場合は特にそれを感じますね。

小池:そうなんですよね。わたしは東京の真ん中に暮らして、疲れ果てていて、それでも明日も生きて行かなければならないというときに、どこから力を得たらよいだろうと思うことがある。そういうとき、やっぱり自然、緑が欲しい。緑といっても単なる植物ではなく、なにかもっと荒々しい生命力を持ったものに対する欲求というのがあるんです。アイルランドの小説を読んでいると、それが充満していて、しかも現代の小説なのに、古代、いにしえに繋がっているところがありますよね。なぜ、自分がそういうものに惹かれるのか……本当はよくわからない(笑)。でもわたし自身が書くときにも、やはり、そういうものを指向しているんですよ。最新作の『転生回遊女』(小学館)では、樹木の持っている生命力と手を結んで、樹木と話ができるという女の子が登場します。植物と手を結んでいるけれども、けもの臭い女の子でもあります。キーガンのビジョンやイメージと、とても重なり合うところがありますね。現代社会には、人間関係にも生活環境にも、独特の疲労感があって、生きにくさを覚えることがとても多いです。キーガンの小説は、その生きにくさに対する共感があり、簡単な癒しを与えてくれるわけではないのだけれども、底のほうから、人間を支えてくれるようなあたたかさがあります。そのあたたかみが、野性、つまり人間性の源と連結しているので、センチメンタルではありません。
岩本さんは、たくさんの翻訳をされていますけれども、今回アイルランドは初めてですか。

岩本:はい、初めてです。いいですね、アイルランド。なにか懐かしい感じがして。

小池:このカバー写真も80年代のアイルランドだそうですけれど、荒涼とした感じの、雨が降っているところがぴったりですね。今かかっている音楽は?

岩本:演奏はチーフタンズというアイルランドの至宝と言われているアイリッシュ・トラッドのグループで、そこにヴァン・モリソンというアイルランドのポップミュージック界の重鎮ともいえるシンガーが加わって歌っています。このCDに収められているのは、ほとんどの歌がアイリッシュ・バラッドと言われるもので、物語性があり、ちょっと悲しくて、でも滑稽なところもある歌です。もちろんアイルランドの人に言わせれば、もっと現代的な音楽や、先端をゆく音楽もあるというのもあると思うんですけれども、一方でこういうトラディショナルなものも脈々と息づいているんですね。

小池:アイリッシュ・ハープもありますよね。

岩本:音も形も美しいですよね!

小池:ええ。むかし、吟遊詩人たちはアイリッシュ・ハープとともに詩を朗読したと聞いたことがあります。アイルランドって詩の国なんですよね。アイルランドの現代詩は、栩木伸明さんの本で知ったんですけれど、アイルランドって詩人がすごく見えやすい国なんですって。日本では詩人って、谷川俊太郎さんは別にして、お金にもならない、地味で目にも付かない、こっそり生きている感じですけれど、アイルランドでは詩がみんなのなかにもっと身近にあるようです。詩人たちもしばしば朗読するでしょうし。私がすごく好きなヌーラ・ニー・ゴーノルさんというとても有名な女性詩人がいて、この人はゲール語で書いているんです。水村美笛さんの『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)にあるように、日本語も世界の中ではごく少ない人たちが使っているに過ぎないわけですけれど、ゲール語も亡びるかもしれない。本当にごく少数の人たちが使っている。

岩本:学校での授業では全員が学ぶらしいのですが、日常的にゲール語を使用する地域は西岸の大西洋に浮かぶアラン諸島と、あと本島の西側に何箇所かという程度になっているそうです。

小池:このヌーラさんの詩もやはり神話が豊富にベースにあって、いいんですよね。「魔女」という詩では、女の子が見る夢が神話的で、山が女の巨人のように大きくなって、おっぱいをゆさゆさして、むしゃむしゃ食べられそうになる。自然にまで拡大してしまう巨大な人間、そういうビジョンがある国なんだなと思って面白かったです。

岩本:土地と人間が本当に密接に結びついているんですね。アイルランドは「妖精の国」とも言われますが、妖精と言ってもティンカーベルのようなかわいらしいイメージとは違いますよね。ケルトの妖精はおじいさんだったり、かわいらしいとは限らないですよね。いろんなところをちょろちょろ歩いていて、守ってくれているイメージで。

小池:私たちがどこにでも神様が遍在すると感じるのと似ていてますね。しかもその妖精が、かわいい子もいるのかもしれないけれど、邪悪というか、悪い人には悪いいたずらをする。子供を神隠しみたいに隠したり連れて行っちゃったりもする。そういうところがまた、読んでいてすごく面白い。私たちは小説を頭で読むんですけれど、神話の世界がすごく豊富に出てくる小説世界は、読んでいると臓腑というか内臓がポカポカしてくる(笑)、お腹が温まる感じがする。

岩本:頭だけで読んでいる感じではないですね。活字ではなくて、詩が声で読む物として存在するんですね。音楽にしても、音楽パブなどでいつでもセッションをやっているのが本当の生きた音楽で、CDは仕方なく缶詰にしている感じなのかもしれないという印象を受けました。『琥珀捕り』(東京創元社)のキアラン・カーソンも神話と融合しているように感じます。

小池:この短篇集にも、神話がベースになったような作品がありましたよね。

岩本:最後の「クイックン・ツリーの夜」ですね。クイックン・ツリーというのは赤い実のなるナナカマドのことです。ナナカマドには、絶大な魔法の力と守る力があるとされているそうです。

小池:この中では比較的長い短篇なのですが、おもしろい作品なんです。日本では考えられない設定ですよね。ヤギと暮らしているあまりもてなさそうな男の隣りに、すごく神話的な荒々しさを持った女が引っ越してくるんです。女には子供を産んでなくしていたり、いろいろな過去がある。その男女が結ばれて、やがて女の方は子供を産んだけれど、その子供を連れて去っていってしまう。

岩本:アラン島に渡ってしまうんですね。荒涼としていて、ケルトの文化が色濃く残っているアラン島は、アイルランドの中でもまたひとつ独特の土地です。そこに渡るということは、より神話的な世界に入っていく、というような含みもあるのではないかと思います。

小池:登場する雌ヤギが女の人に嫉妬するでしょう。男はヤギと一緒にベッドで寝ていたんですよ。一緒に寝ていて相当臭いだろうと思うんですけれど(笑)。男がヤギとそのような関係にあったとは全く書かれていませんが、あっても不思議ではないとも読めます。そして、動物と人間がほとんど同じレベルで、同一線上にある存在として書かれている。そこがまたすばらしくて、昔は人間ってこんな感じだったんじゃないかと。女が最初に愛していたのは神父である従兄なんですね。最終的には聖職者だから結婚できないけれど、すごく近い所での結婚もあり得た。そういうところからも、昔の人間、いにしえの人間、古代的な人間の生活というものが透けて見えてくる。古と連結しているという感覚が、読んでいて生きる活力になるんです。そう意識して読んでいるわけではないのですが、読んだ後にエネルギーが充填されたような気がします。

岩本:現代の物語と思えないところがありますよね。私は小池さんの詩や小説を読むときに、けものを抱えているように感じるんです。これを読んだ時も同じように、キーガンはけものを抱えているのだと思って。それで小池さんに推薦文をお願いできればと思ったんです。

小池:そうでしたか。私も一応洋服を着てるんですけれど、ほとんどけものに近いというか(笑)。岩本さんも私も男の子を産んでいるということが関係するのかもしれないのですが、女の子ですと自分と続いていて、友達のようになる親子もいますが、男の子は全く他者、異性ですもんね。全然自分とは違うものという感じで。

岩本:頭の中が根本的に違いますよね。不思議ですね。

小池:異性を孕んだというのは、面白い経験でした。私は最近、自分が女であり、男でもあり、という際どい存在であるように感じていて。「クイックン・ツリーの夜」の中でも、女が夢の中で男になるんですね。若い頃は否が応でも男性に見られるということを通して、自分を女性であると意識しますが、年齢を重ねてくると、中性的な感じになってくる。それは私にとっては、仕方ないというよりも、自由になっていくことであると感じます。詩を書いているときも、男であり女であり、人間でありけものであり、物であり人であり、自由にいろいろなものに憑依して書けたらいいなと思っているので。

岩本:若い頃にはわからなかったことですね(笑)。

小池:人間の獣性というのは、人間の源、本質にあるという点では、常に目をそむけられないし、わたしにとっては、それこそが興味が深い、惹きつけられる部分です。現代は男性の方が草食系などと言われていて、欲望が見えにくく、植物的になっているのかもしれないけれど。

岩本:この本の中でも男の人は縛られてしまっていて、けもののように思うままに生きられない。女の方が自由ですよね。男は自分の農場を守らなければいけない、土地を守らなければいけない、と縛られてしまっているけれど、女はそこに収まりきれなくて出て行くというパターンが多く見られますね。

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