
小池昌代さん・岩本正恵さんトークショー(2)
小池:キーガンは本当に職人みたいな巧い小説家で、直接的な表現はしないんですけれど──岩本さんも「語られなかった言葉により大きな意味がある」と書いてらしたけれど、暗示するような書き方しかしていなくて、だからこそ読者が想像力を働かせながら読むたのしみが残されている。「別れの贈りもの」の中に、お父さんが娘を犯した、要するに近親相姦だったことが暗示されています。そういう不幸を重ねて、その家から女の子がついに飛び出していく。出て行ってよかったと思うんだけれども、残されるお父さんが哀れで、それを全部知っていたお兄さんもすごく大きな哀しみを抱えていて。知っていてそれを言葉にしないで抱きしめて妹を送り出すという悲しみの描き方も、本当に巧いですね。このお父さんに関しては、嫌悪感もたくさんあります。でも、最後に全部読み終わった後に上の方からこういう人間たちを見下ろす、そういう視点に立つと、人間って哀しい、哀れだって思うんですよ。娘を蹂躙してしまったけもののようなお父さんはきっと地獄に堕ちると思うんですけれども、この後も生きていかなければならない。残されるお母さんもお兄さんも全てその事実を知っていて、もちろん当事者のお父さんも、アイルランドでじっとその事実を抱きしめたまま、生き続けていく。宗教的な視線が降り注いでいるというのでしょうか。お前たちはどうしようもない、でもこの先も生き続けるんだよ、そのとんでもない自分自身を抱きしめて生きていくんだよ、というどこか許すような視線が覆っているような気がして。それは、たとえばトレヴァーですともう少しきつい、許すというよりも、とんでもない人間がいる、そういう現実の中で人は生きていくんだということを見せつけるという感じになると思うんですけれど、キーガンはもう少し柔らかい、許しの視線も感じられると思います。
岩本:お父さんはまさにに野獣で、嫌なお父さんで、よいところなんてひとつもないんですけれど、でも存在としてはやはり哀れですよね。アイルランドはカトリックの国で、かつては離婚はできない、中絶はできない、一回神父の道に歩むことを決めたら絶対結婚もできない、と社会的に非常に厳しく縛られていた反面、裏ではこのような近親相姦もあるわけです。そのような暗い部分を書けるようになったのは、比較的最近でもあります。キーガンが自分の文学的な師と仰いでいるジョン・マクガハンという作家が性的に露骨な部分を含む小説を書き始めたのが60年代ぐらいの話ですが、彼女も人々の暗部を隠さず書こうという姿勢があるのでしょう。それでも、決して近親相姦を描きながらいやらしくはならない。本書の他の作品でも、それを暗示する部分がありますけれど、あくまでも暗示に留めている。本当に巧い作家ですね。アメリカあたりだともっと露骨に書いてしまって、その気持ち悪さで見せるというところがありますけれど、文化が違うのかもしれませんね。
小池:古い昔は近しい人たちが交合して子孫を残していくことがあったわけで、現代人から見れば非常に反倫理的なことなんだけれど、そのようなことも文化全体がくるみ取っているようなところがある。ベッドの中から娘を送り出す身勝手なお父さんだけれども、普遍的な人間の悲しみにまで昇華されていくというところがすごいですよね。
岩本:「別れの贈りもの」は現在形で訳出したのですが、原文でも現在形で書かれています。日本語の小説の場合、現在形で書いていく、ずっとそれで通していくというのは珍しいですが、英語の場合はひとつの手法としてありますね。しかも主語は「you」、「きみ」で、これも日本の小説には珍しい。けれども、私が訳すときの姿勢としては、それらはみな作者が選んだ意味や意図があってのことなので、尊重しようと考えます。仮に、そこを日本語の座りがよいように過去形で訳したり、人称をいじったりすると、きっとどこかで齟齬が生じて破綻してしまう。ですので余程のことがない限りは、原文の時制なり人称なりに沿うべきだと考えています。読者の方にもそれで作者の意図がそのまま伝わることを願っています。
小池:わかりますよ。「きみ」という二人称も、ほとんど女の子の一人称に近い、すごく微妙な二人称ですよね。

岩本:この作品の場合、視点がどこにあるのか、語り手は誰なのかという可能性が、いろいろ考えられますよね。それによって解釈も少し違ってくるかもしれません。また、この二人称を「きみ」にするか「おまえ」にするかという問題もあります。日本語では、それで相手との距離が決まってきますよね。この場合は、主人公が18歳、高校を出たばかりの女の子ということで、私は全能的な立場にいる人が見守るような形で呼びかけているのではないかと考えて「きみ」を選びました。私が好みで「きみ」を選びやすいというのもあるんですけれども。また、いくつもの視点の可能性を考え、できるだけ中立的な言葉を選びたかったということもあります。実はこの作品、翻訳学校で一度テキストに使ったことがあるのですが、半分くらいの人が「you」を訳出しないという選択をしていました。でもそれでは絶対に破綻してしまう。おそらく受験英語で「you」が世間一般の人を指す場合は訳さなくてよいと教わるのと混同している部分があると思うんですけれど、ここの「you」は具体的に女の子を指している。それに、作品は作家が創ったものですから、一部を訳さないということはできないし、まして翻訳者の権限で人称を変えてしまうことはできないと私は考えます。
小池:でも、この「きみ」が効いていて、私自身は女の子に感情移入しやすかったですし、加えて現在形で進んでいくと、こちらに向かってくるような気がします。二人称と現在形が加味された文章は、すごく迫力があるんですよね。日本の小説は一人称が溢れかえっていて、「僕」とか「私」とかばかり。キーガンの二人称や三人称はいろいろな視点から書いていて、それも彼女の作品がすごく豊かで広々として深い感じがする所以なのかなと思います。
岩本:時制はというものの考え方は、必ずしも英語と日本語とで一致しているわけではないですので、微妙な問題があるかもしれませんね。
小池:それはすごくおもしろい問題ですね。日本語の場合、現在形と過去形とをごちゃまぜにして書きますでしょう。過去のものを今見ているかのように書くことがある。実は『枕草子』なんかも、わたしは古文のことはよくわからないんですが、過去が現在のなかに、鮮やかに現れたりする。日本語の特質なんでしょうか。伝統があるんですよね。
岩本:アイルランドは同じ英語でも、イギリス・アメリカとは物の名前が違うことがあるんですよ。わからないものがかなりあって。競馬で芝のことを「ターフ」って言いますよね。それで「turf」と出て来たら芝だと思っていたら「泥炭」なんですよ。「turfを燃やす」って、はじめは芝を燃やしているのかなあ、と恥ずかしい勘ちがいをしていました。
小池:訳されていてそのような苦労は他にもありましたか?
岩本:「boiled sweets」というのがありまして、茹でた甘いものってなんだろうと思ったら、普通のハードキャンディのことなんです。今はGoogleで画像検索をすると、そのものずばりの写真が出てくるので便利で、今回何度驚かされたことか(笑)。それでも、最終的に著者に聞かなければわからないこともありました。




