
小池昌代さん・岩本正恵さんトークショー(3)
小池:キーガンはどんな方ですか。
岩本:この見返しの写真を見るとちょっと厳しい感じの人ですけれど、会ってみると非常に気さくでした。アイルランドでも作家として生きていくのは大変なようなんですけれども、今、自分が作家として書いていけるということが嬉しくてたまらないのが言葉の端々から伝わってきました。
小池:純粋な書き手ですね。
岩本:今年の6月に東工大の招きで来日して朗読会を行ったんですけれども、その朗読する新作にもずっとずっと手を入れて、直前まで直していました。
小池:そうなんですか。私も相当推敲した作品なんじゃないかなと思っていました。
岩本:小池さんは、お書きになるときはどんな感じですか。
小池:詩は、推敲しないですね。パッと一気に書いてしまって終わるんです。後で推敲しなければならないと思うのは、私の場合、大抵失敗作なんです。でも小説は全く違っていて、どんどん推敲していくことによって作品が命を得て違う物に変身していく。一部を直す程度でもそれによって全体が変わってきたり、一部を直すことによってこちらも直そう、あちらも直そう、と有機的な感じが面白くて。推敲の仕方によっては、全く結末が違う作品も出来ますね。
岩本:面白いですね。
小池:レイモンド・カーヴァーも、何度も何度も推敲していますよね。キーガンもそうなんですね。
岩本:そうですね。「波打ち際で」という作品は、第二短篇集である『青い野を歩く』以前の、第一短篇集にも収録されているんですね。第一短篇集に入っているバージョンは村上春樹さんが編訳した『バースデイ・ストーリーズ』(中央公論新社)に入っています。話の流れは一緒なんですけれど、受ける印象はかなり違うんですよ。
小池:私も両方読んでいるんですけれど、『バースデイ・ストーリーズ』から受けた印象と、確かに違う。原作自体が違っていたんですね。
岩本:全くの別バージョンという感じで、ちょっと推敲したというレベルの変更ではないですね。読み比べてみると、どこをどう変えて、ということがはっきりすると思います。
小池さんは、詩を書いていらっしゃるときと、短篇のとき、長篇のときとでは気持ち的には違うものでしょうか。
小池:違いますね。全てに共通して言えるのは、書く前というのがいちばん嫌なんですね。書き始めてしまえば、滑り出したという感じになるのですけれど、書く前はいちばん嫌な、不機嫌な、人に当たり散らしたりしたくなるような(笑)時間で。でも、詩は書いていて、一番楽しいですね。書けたときは、パーッと終わってしまいますし。
岩本:書く前に熟成させている、ということでしょうか。
小池:その熟成というのは、自分では制御できず、よくわからないんです。ついさっきのことや、昨日の夢が出て来るかと思えば、10年前のことや20年前のことがふと一行目になったりします。よく、その作品のために書く時間は10秒でも費やされた時間は50年だったとかっこいい言い方する人がいますけれど(笑)、本当にそうなんですね。詩はおそらく、一番そういうものが如実に表れると思います。パッと書けてしまうので楽しいんですよね。でも、いかんせん書く機会もないし、書いてくださいと言われることもほとんどないし、お金にもならない。自分で、よし、書くぞ、という気持ちにならないと、なかなか、「書く」ということそのものが訪れないので、一番楽しいにも関わらずなかなか書かないんですけれど。短篇は辛いですね。書き始めてしまえばいいんですけれど、なにを書こうかどう書こうか一行目はどうしようか。その、一行目をどうしようかということがすごく苦しくて。
岩本:作家として創作なさる場合は言葉になっていないものに言葉を与える作業ですが、翻訳の場合は、創作という苦しい部分はすでに作家の方がやってくれているので、翻訳者はなんだか楽しているのではないか、という思いが私の中にはあります。
小池:でも岩本さん、訳すときは、時間にしてどれくらい悩まれるんですか。
岩本:悩まないです(笑)。とにかく自分の中に放り込んで、よく自分の中で響かせて取り出すという感じなので、あまり考えないです。とにかく最初はあまり難しいことは考えずに、逐語的に訳して、その後もう一回自分の中でよく響かせます。やっぱりいちばん大変な、言葉にならないものに言葉を与える作業は作家の方がしてくださっている、というのが大前提としてありますね。その辺りは、小池さんは創作と翻訳では全然違うのではありませんか。
小池:私の翻訳というのは絵本のレベルなので(笑)、ほとんど悩むこともないですけれど。
岩本:いや、絵本の方が、かえって難しいように思いますが。
小池:確かに絵本は言葉数が少ないという分、とても難しいと思います。でも小説、こういう長いものを訳す難しさはまた違うと思うんですけれど。
岩本:勘所というか、これで完成した、と思えるポイントが違うのでしょうね。
小池:私は、書くときと同じくらい、岩本さんも悩まれることがあるんじゃないかと思っていたので。岩本さんの翻訳の文章は、すーっと入ってくるんですよね。その理由が今お聞きしてわかったんですけれど、読んだ後、ワンワンワンと自分の中で響いてくるのを待って、その反響を溜めたところで訳す、ということなんですね。
岩本:そうですね。反響すると完成する、ということかもしれません。その結果、原作の響きと翻訳の響きが等しくなるというのでしょうか。『青い野を歩く』は単語数にするとすごく少ない本なんです。それなのに、とても時間がかかりました。なかなか完成するまでには至らない。本当、不思議ですね。
小池:訳されたら早い、と伺っていたのですが、どこに時間がかかったんですか。
岩本:推敲の時間ですね。逆に言葉数の多い、饒舌な作品であれば、一旦、語りに乗せられればすんなり訳していける、こちらもペラペラと喋っていればよいという部分もあるんですけれど、このように寡黙な人がぼそぼそっと喋っている感じの文章は、密度が濃い分、丁寧に丁寧に訳していかなければならないので。
小池:そうですね。寡黙な小説ですよね。日本にもよい小説はたくさんありますけれど、こういう全く違う国の現代小説なのに、少し前の日本にあった懐かしさを感じます。
岩本:繋がっているところがなにかありますね。中国や韓国の現代の物語ですと、ある程度日本と文化的に共通な面があって、それで自然に共感する部分がありますけれど、ヨーロッパの国でこれだけ似ている、情感として通じるものがあるというのは驚きですね。例えば『千年の祈り』(新潮社)を書いたイーユン・リーの描く中国は、少し前の日本の風景と似ていて、私たちの心には自然に懐かしさが湧いてきますけれど、アイルランドの場合は、背景となる文化が全く違うのに、ここまで似るとは。不思議ですね。
小池:アイルランド出身のマックミラン・ピーターさんという方がいらして、彼は、百人一首を英語に訳しているんですよ。その本のタイトルが『英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ』(集英社新書)というんです。香り立つこころは、目には見えませんが、それを感じる感性は共通している。アイルランド人と日本人のあいだには、うち響く回路があるのかもしれませんね。
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青い野を歩く クレア・キーガン 著/岩本正恵 訳 名もなき人びとの恋愛、不倫、小さな決断を描いた世界は、「アイリッシュ・バラッド」の味わいと、哀しみ、ユーモアが漂う。アイルランドの新世代による、傑作短篇集。小池昌代氏推薦! |




