母さんはわたしをシルバーと名づけた。わたしの体は銀と海賊とでできている。
わたしに父さんはいない。そうめずらしいことじゃない。父親のいる子だって、自分の父親の姿を見かけてびっくりすることがあるくらいだ。わたしの父さんは海からやって来て、また海に帰っていった。波が暗いガラスのように砕け散る夜、父さんの乗った漁船がわたしたちの港に身を寄せた。船をずたずたにされた父さんは陸に上がり、そのわずかの隙に母さんの胎内に錨をおろした。
幾千万の赤ん坊が、先を争って生命をめざした。
勝ったのはわたしだった。
わたしたちの家は、崖の上に斜めに突き刺さって建っていた。椅子は残らず床に釘で打ちつけてあり、スパゲッティを食べるなんて夢のまた夢だった。料理はどれもお皿にくっつくものばかり−シェパードパイ、グラーシュ、リゾット、いり卵。いちど豆料理にしてみたら結果は大惨事、いまだに部屋の隅っこから埃にまみれた緑色のものが見つかることがある。
世の中には山のてっぺんで育つ人もいる、谷底で育つ人もいる。どちらにしても、たいていの人間は平らな床の上で育つ。わたしは人生に斜めに入ってきて、いらい今まで、ずっとそうして生きてきた。
夜になると、母さんは床の傾斜に交差するように吊ったハンモックにわたしを寝かせた。夜にやさしく揺すられて、わたしは自分の全体重で重力と闘わなくてもいい場所を夢に見た。家の玄関までたどり着くのにも、母さんとわたしは登山のパートナーみたいに互いの体をロープでしっかり結んだ。一歩足を滑らせれば、もう一巻の終わりだ。
「あなたって子はちっとも外交的じゃないんだから」母さんはわたしにそう言ったけれど、それはたぶん〝外〟に出ていくのが大変な難事業だったせいだ。ふつうの子供は家を出るとき、行ってらっしゃいの後につくのは、せいぜい「ちゃんと手袋はもった?」だ。でもわたしの場合はこうだった、「ちゃんと命綱の金具はぜんぶ留めた?」
引っ越せばいいじゃないかって?
母さんは未婚の身でわたしを身ごもった。父さんが訪ねてきた夜、母さんの家の扉はあいていた。だから母さんは町から離れた丘の上に追いやられ、皮肉なことにその町を見下ろして暮らすことになった。
ソルツ。それがわたしのふるさとだ。海になぶられ、岩に噛まれ、砂にがれた貝殻みたいな町。そう、それと、灯台と。
(本書冒頭より)
|
灯台守の話
ジャネット・ウィンターソン著/ 岸本佐知子訳 「お話して、ピュー」。みなし児の少女シルバーは、盲目の灯台守ピューに引きとられ、百年前のある牧師の「愛の物語」に耳を傾ける……。大海の波のごとく、魂を震わす傑作長編! |



