──『気まぐれ少女と家出イヌ』
腹がへってないわけじゃない。そうじゃない。スープがまずいってわけでもない。そうじゃない。おかわりしたっていいくらいだ。(よくよくかいでみれば、ほんのかすかに肉のにおいがする。すごくすごくかすかだけど)
ちがうんだ。スープを飲まないのは、おこっているからだ。おこっているのはリンゴがおこっているからだ。
おこっているとき、リンゴはスープを飲まない。だからイヌだって飲まない。ぜったいに。連帯ってもんだ。ピリピリとデカジャコウはこのふたつを結びつけて考えてみたことがない。想像力がないんだから、まったく。
さて、その夜の食卓で、リンゴはにぎりこぶしで頭をはさみこんだ。すぐにイヌはあらしがくるのを感じた。女の子は歯をくいしばり、ひどく短い耳ざわりなフレーズしか発さなくなった。
「ううん」「すいてない」「いらない」「どっちでも」
ピリピリがたずねても、デカジャコウが命令しても、ふたりでおどしても、これだけ。リンゴはなにも食べず、とうとうおやすみもいわずに寝にいってしまった。イヌにちらりと目をやっただけ(リンゴ独特の、イヌにしか見せない目くばせ)、イヌにはまったく関係ないってことをわからせるためだ。
〈みょうな雰囲気だ〉とイヌはおもう。キッチンの戸だなからかわいた床用ぞうきんをひっぱり出して、その上によこになった。やっぱりタイルはちょっとつめたいからね。まえ足に鼻をうずめ、まゆをひそめ、さめたスープをまえにして考えようとしていた。〈そうだよ、みょうな雰囲気だ。すこしまえからこの家は〉
なにがおこっているのか、はっきりとはわからないけれど、なにかおこりかけている。二、三日まえから、デカジャコウとピリピリはへんな目でイヌを見るし、リンゴが近づくたびに声をひそめる。もちろん、そのうちリンゴは気づいた。だから今度はリンゴのほうが親たちをそれとなく観察しはじめた。すると親たちはむすめの視線をさけるようになった。それに、しどろもどろになったり、めちゃくちゃなことをいったりするようになった。(リンゴが先生たちに、かばんをなくしたとか、暗誦をわすれたとかいうときとまったくおなじだ)。みょうな雰囲気だろ? それに二日まえから、リンゴは食べるのをやめてしまった。というわけ。〈なにがおこってるんだ〉とイヌは考える。人間にはいつもなやまされる。予測不可能なんだ。犬たちとはちがうし(犬は足のあいだにしっぽをはさむとか毛をさかだてるとか、とてもわかりやすい。問題なしだ)、猫ともちがうし(猫ならいくらシャムを気どったって、いつ爪を出してひっかくかは、だいたいわかる)、天気みたいでもない。(そうさ、天気なんかに不意打ちをくらいはしない! においが変わるし、虫たちが出てくるし、鳥たちは地面につっこむみたいな飛びかたをするし……。天気ほどわかりやすいものはない)。それにくらべて、人間ときたら……。
(「みょうな雰囲気」より)
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気まぐれ少女と家出イヌ ダニエル・ペナック著/中井珠子訳 リンゴという名の少女にひろわれた〈イヌ〉。はじめはあんなにかわいがってくれた彼女が、急に冷たくなった。あきたのだ! イヌは絶望して家出する……。動物たちの目線で見た人間社会。 |



