すべての家庭にやっと電話が普及するかしないかのうちに、エジプトはいきなりケータイ時代に突入してしまった。電話を引くのは、まとまったお金も必要になるし、たとえ申し込んでも申し込んでから数年という時間がかかるから、つい十年ほど前までは、いわゆる中産階級でも電話のない家庭はいくらでもあったのだ。緊急事態に隣人の電話を借りるのも、最近までは当たり前のことだった。(中略)
隣人に電話を貸すというのは、醤油を貸すのとは違って、決して楽な親切行為ではない。なにしろ、相手を家に招き入れなければならない。どうしてもその隣人が電話をかけなければならない緊急事態ならそんなことも言っていられないが、困ったことに必ずしも緊急事態とは限らない。それに隣人に電話をかけさせてあげるのではなく、隣人あての電話がよそからかかってくるということもあるのだ。この場合、電話の持ち主はわざわざ隣の家まで行って、
「電話です」
と告げるメッセンジャー・ボーイの役割も果たさなければならない。(中略)いかにこちらが気持ちよく協力できるかは、借りる側の心がけにかかっている。その意味で、わが家は隣人に恵まれなかった。
その隣人一家というのは、カイロのアパートの三階、わが家の真上の住人で、「サウサンおばさんのうち」と呼ばれている。サウサンおばさんの、百キロは軽く超えるであろう巨体は、前後から見ても横から見てもほぼ等しい幅を持ち、その体重が彼女の両脚を苦しめていることは、彼女が年を重ねるごとに顕著になっていく。のっそりとしているが、絶対的な存在感でもって、一家のなかで中心的な地位に堂々と君臨している。ご主人の方はというと、一家が奥さんの名前で呼ばれていることからもわかるように、目の前にいてもその存在に気づかないような哀愁ただようおじさんで、ボーッとしているが物腰柔らかな良い人だ。そして三人の娘たちは、母親のようにのっそりと、父親のようにボーッとしている。悪気のかけらもない善良な人々だが、わが家ではサウサンおばさんの悪気のない迷惑を多大に被った。
たとえば、おばさんの家では、大きな家具の数々、八人掛けの食卓とか食器棚などといったものを、なぜか毎日引きずって移動する。毎日である。私たちの頭上で、どっしりとした木製の家具を引きずる音が、今にも石造りの天井が崩れ落ちるかのような勢いで響きわたる。(中略)騒音だけでもじゅうぶん人騒がせなおばさんの家には、そのうえ、つい最近まで電話がなかった。だからわが家の電話を使っていた。(中略)呼びにいくと、おばさんは寝巻きのままのっそりと階段を降りてきて、もうすでに開いている玄関のドアを軽くノックしながら部屋に入り、一通りの挨拶をした後、受話器を取る。
「アロー、だあれ? まあ、元気? こっちはみんな元気よ。おかげさまで。そっちはどう? アハマドは元気? ナビールはどう? ナディアは? 子供たちの勉強はどう? もうすぐ試験だわねぇ……」
話はなかなか核心に至らない。明らかに、これは緊急事態ではない。やっと電話が終わると、おばさんは、
「ありがとうございました。いつもすみません」
と言い、しばしば居間に腰掛けて世間話をした後、ゆっくりと階段を上がって帰る。そして数分すると、三階ではベッドと食器棚の大移動が始まる。 (『恋するアラブ人』より)
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恋するアラブ人
師岡カリーマ・エルサムニー 著 税込価格1890円 (本体価格1800円) 「こだわり」をもった人は美しい。歌手や詩人、権力者からお隣さんまで、アラブ世界の愛すべき「こだわり」人たちを、アナウンサーやNHK講師として活躍の著者が綴る初エッセイ。 |



