なんといっても、クリスマスに関する基礎的な知識なくして、クリスマスを迎えることはできません。
基本文献として名高い『クリスマスの文化史』は、クリスマスの起源からはじまって、クリスマスツリーやサンタクロース、「きよしこの夜」、クリスマスカード、クリスマスディナーなど、クリスマスに関するありとあらゆることを網羅した必読書です。
ドイツのクリスマス市についてもくわしく取材しておりますので、雑貨好き女子&奥さまのために一部をご紹介しましょう。
●ニュルンベルクのクリスマス市
世界最古のクリスマス市はミュンヘンのものであるが、世界で最も有名なクリスマス市はニュルンベルクのそれであろう。
ニュルンベルクはミュンヘンのおよそ百キロ北に位置する都市である。ここのクリスマス市は十七世紀末には、ドイツ最大のクリスマス市の一つに数えられていた。日用品やおもちゃ、焼き栗、レープクーヘンなどの食べ物の他に、ツベッチゲンマンデルという、クルミと干しプラムで作ったニュルンベルク独特の人形も売られてた。また、人形劇団や手品師、動物を使った見世物小屋、メリーゴーランド、さらに一八五〇年にはパノラマ(映画の前身)も設置された。地方から都市に働きに来ていた人々や、近隣の農民などもクリスマス市では財布の紐をゆるめたのである。
ニュルンベルクのクリスマス市のシンボルは金紙で作った冠と羽をもつ天使の人形である。エプロンをしたその姿は、一八世紀頃のニュルンベルク地方の民族衣装をモデルに作られたものだという。クリスマス市の入り口には、毎年大きな天使の人形がかかげられる。また、実はこの天使、「幼児キリスト」とも呼ばれ、一九六二年からは二年ごとに幼児キリストコンテストが行われて、選ばれた少女が幼児キリストに扮し、クリスマス市のオープニングや期間中特定の日に会場に姿を見せる。一九四八年から一九六一年までは幼児キリスト役が別にいて、天使二人が同行していたが、六二年に幼児キリストと天使が一体化して今の形になった。
クリスマス市が開かれる聖母教会前のこの広場は、しかし、かつてはユダヤ人居住区であった。十四世紀、交易の拡大にともない、ニュルンベルク市が強制的にユダヤ人を立ち退かせ、市場を開く広場にしたのである。また、ナチ時代にはここはアドルフ・ヒトラー広場と呼ばれ、クリスマス市の入り口に掲げられた天使の人形の下にもハーケンクロイツが付けられていた。戦時中は、広場や通りにヒトラーの名が付けられたことは、決して珍しいことではない。今日では、平和の象徴そのもののようなイベントたるクリスマス市にも、こうした歴史が秘められていることは覚えておきたい。
(「第六章 クリスマス市」p.135より)

カラー口絵も美しく、たのしみながらクリスマスの全てがわかる、これぞ決定版!な一冊であります。
次は、クリスマスに関連した文化をもっと深く探ってみましょう。
まずクリスマスに欠かせない音楽について。
『グレゴリオ聖歌』は、長い歴史をもつこの音楽の起源や変遷、棋譜法や旋法などを詳細に解説した、コンパクトながら本格派な一冊です。
ここではグレゴリオ聖歌の発祥について、さわりをご紹介しましょう。
典礼における大切な表現のひとつは聖歌である。ローマ典礼における〈グレゴリオ聖歌〉は、一二〇〇年の古く長い〈伝統〉によるもので、大教皇グレゴリウス一世(在位五九〇〜六〇四)への敬意を込め、一般に、こう呼び慣わされている。年代学的に、そして形成状況の面からみると、グレゴリオ聖歌は、多少の差はあれ、ローカルな特徴を帯びている。それは同時に、、東方的なものが西方へもたらされた六〜七〇〇年のあいだ、幾度となく検討がなされ、変化していった口伝の到達点と思われる。したがって、グレゴリオ聖歌が東方(ビザンティウム、エルサレム)の所産らしいことは、まったくの推測としても、真実らしい。[…]
最初の二世紀は、一四名の教皇のうち一〇名が東方出身者であった。六八七年から七五二年までには、三人がギリシア人、四人がシリア人であったことが思い出される。さらにカール大帝(シャルルマーニュ)とその後継者たちが用いた音楽と典礼の様式が、ビザンティウムの歌い手たちと深い関係にあったことも述べておこう。ナポリ、モンテ・カッシーノ、パリ地方とローマの〈サン・ドニ〉にはギリシア人修道士が生活していた。彼らはまた、トロープスという文学・音楽上の新形式創造に関与した名高い修道院、たとえばリモージュのサン・マルシャル、ザンクト・ガレン、サン・テンメランなどにも居住していた。われわれの典礼書にも、そうした浸透の跡が原型や翻案の形で顕著に認められる。。たとえば、われわれのグロリア第一四番、〈アゥテンティクス〉といわれているクレド第一番の元となったギリシアのグロリアやクレドならびにその派生、有名なアレルヤ唱“Dies sanctificatus”(降誕日中のミサ)や“Domimus regnavit”〔いずれも古風な聖歌〕。また、主の降誕・割礼・公現 の各聖務日課、主の奉献祭日の聖歌(“Adorna”や“Reponsumu accepit”)、聖週間(とりわけ聖金曜日インプロペリアにおける二言語トリスハギオン)のなかの音楽技法に、ギリシア的なものからの広範な借用が認められている。
(「第一章 起源、枠組み」p.5より)
続いては美術に目を向けてみましょう。キリスト降誕は多くの画家によって描かれてきた、宗教画の一大モチーフですね。後世の美術史家たちは、これをどのように論じてきたのでしょうか。

これはボッティチェッリの《神秘の降誕》です。この作品について、大御所ケネス・クラークの評論を『絵画の見かた』の中から見てみましょう。
キリスト降誕の絵画は、しばしば、気持ちのよいクリスマスカードを思わせる。だがボッティチェッリの作品は、正反対である。それは、精神的苦闘の記録であり、苦痛の記憶をとどめた天路歴程である。[…]
この《降誕》図は、多くの点においてアルカイックな作品である。ボッティチェッリは、写実主義に対するサヴォナローラの告発を受け入れ、聖母とキリストの姿を、ちょうどビザンティンの画家がそうしたであろうように、周囲の脇役の人物たちとはちがったスケールで描いている。彼は奥行きの幻影を生み出そうとする試みは一切放棄して、草葺きの小屋を画面の中央に、見る者に対して真正面の向きに配置した。前景の人物たちも、丸みをもって表現することは、あまりにも強くその現実的存在を印象づけることになるとでもいうかのように、同じようなアルカイックな平面性を示している。しかしそのような配置は、天上の世界に不要であり、天使たちの姿は、アルカイックというにはほど遠い。ラスキンは、この天使たちを純粋のギリシア人と呼んだが、事実その波のようにうねる衣装の襞と仰向けにのけぞった顔とは、紀元前四世紀のマイナデス(バッカント)に由来している。ラスキンはまた、この天使たちを「顔がない」と呼んだが、その意味は、彼らの顔がもはやそれほど美しくはないので、顔は見ないということである。サヴォナローラのピューリタニズムは、ダンテの挿絵における祝福された人びとの表現ではまだ適切だと彼が考えていた肉体的な美しさを、ボッティチェッリに放棄させたのである。彼は、その驚嘆すべきデッサン力の基礎である鋭敏な観察の習慣を完全には棄てることができず、たとえば天使の細い腕などは、やはり楽しげに描かれている。しかし衣装に包まれた身体は、ビザンティン美術に見られるもののように、文字どおり天使のような非物質性を示している。これは、絵画に表れた最も非官能的な舞踊である。もしわれわれがその踊りに加わるとすれば、ただ精神のみによってそうするのである。そして、衣装や翼の流れに逆らってこの踊りの輪とともに動き、王冠や棕櫚の葉などの魔術的な形態のところでときどき休みながらいっしょに踊ったとすれば、選ばれた人びとの天上の音楽が堕落したわれわれの耳にさえ聞こえてくるように思われるであろう。しかしながら、そこに見られるアルカイスムと物質的なものの拒否にもかかわらず、この《降誕》図は、けっして「繊細」な作品ではない。それどころか逆に、それは、力強い構図と、重々しい色彩と、激しい筆遣いによる強烈な作品である。
(ボッティチェッリ《神秘の降誕》 p.219より)
次にご覧いただくのは、ロレンツォ・ロットの《キリスト生誕》です。

今度は、新しい美術史学の旗手として活躍したダニエル・アラス(2003年に急逝)の論考を見てみましょう。
アンドレ・シャステルが彼の論文集である『寓話、形式、形象』のなかで、美術史家は細部によって注意を喚起されると書いています。そうです。なぜならタブローの全体とうまくそぐわない細部は、美術史家に問いかけ、彼の注意を喚起するからです。そして美術史家は、たとえばなぜ聖母マリアに沐浴してもらうイエスには、臍の緒があるのかを理解しなければならないのです。これは二重の異常であって、もちろん中心的な異常は、ロレンツォ・ロットのタブローのなかにあるイエスの臍の緒です。あらゆる美術史家は、とりわけ図像学に、したがって図像的細部に興味を持つやいなや、細部を扱うことになります。しかし私は、通常の美術史の実践は、むしろ細部を消すことに意を用いていると思うのです。美術史家はやや消防士に似ています。気に障る細部があると、それを消さなければならない、ふたたびすべてがなめらかになるように、それを説明しに駆けつけなければならないのです。細部の機能は、私たちを呼ぶこと、逸脱し、異常を作ることです。図像学の歴史は、すべての細部は正常であると考える傾向があります。ところが、ちょっとした偏執狂患者である私の興味を引いたのは、その反対に、それは正常ではないということであり、この異常の可能性を探しに行くことだったのです。この時に近接的な歴史が開かれますが、それは遠くから見た歴史と同じくらいの、おそらくはもっと多くの資料を読む作業を含んでいるのです。
(『モナリザの秘密 絵画をめぐる25章』「第二十一章 近接絵画史のために」p.238より)
クリスマスをきっかけに芸術に親しむ……こんな優雅な過ごし方はいかがでしょうか。
家庭で過ごすのであれ、外食するのであれ、クリスマスの特別な料理には、誰もが心浮き立つものです。しかし、がんばって出かけたレストランでワインリストとにらめっこしなければならない状況を考えると……二の足を踏んでしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ここはひとつ、ワイン界の「知的ゲリラ」マット・クレイマーのアドバイスに耳を傾けてみましょうか。
赤ワインを選んで料理と合わせるのは、妙なことだが白ワインを選ぶよりもやさしい。これは多分たいがいの赤が、白より風味がはっきりと優るせいだろう。したがって相手変われど主かわらずで、赤身の肉やソーセージの類いならどんな赤ワインでも構わないことになる。ただし、バローロやエルミタージュのような赤ワインが、ある食材なり料理なりを相手にしたとき、ボジョレやシノンより相性が悪い、などと言うつもりはない。
ワイン選びは、スカッシュ、ラケットボール、ハンドボールなどの四周の壁を使うゲームで、作戦に頭を使うのに似ている。側壁を使ってゲームを進めるなら、なるたけたくさんのショットを側面に集めたい。また長短のショットを繰り出して、敵陣の近くまたは奥深くに落とすこともできる。上手な選手はこれらをミックスして、私のごとき未熟者がゲームを落とすまで右往左往の走りづめにしてしまう。ともかく面白くてこたえられない。
これをワインにたとえれば、二つの側面、すなわち洗練と野暮、繊細さと頑丈さ、果実味ある若さと優雅な熟成美、といった両面から考えることになる。このやり方は少なくとも、マッチする取りあわせを決めるのに役立つという点では、ブドウの品種や地区ばかり眺めるよりも、よぼど理にかなっている。編成よろしきを得た晩餐もスカッシュの試合も同じこと、あまりしょっちゅう離れ業を見せるわけにはゆかない。ワインも同じである。宴会において、立派なワインがたくさん続きすぎると、退屈千万なばかりか、持ち味がすっかり損なわれてしまう。
(『ワインがわかる』「第八章 料理という舞台」p.221より)
逆に、飲み物についてウンチクのひとつも語ることが出来れば、あなたのモテ度も120%アップするはずです。シャンパンで乾杯するときには、こんなエピソードをご利用ください。
……カサノヴァはシャンパンを「誘惑には欠かせない道具」と見なした。ココ・シャネルは二つの時にしかシャンパンを飲まないと言った──恋をしているときと、していないとき。シャンパーニュ地方の大貴婦人のひとり、リリ・ボランジェになるともっとすごい。「私は幸福なときと悲しいときにシャンパンを飲みます。ひとりでいるときに飲むこともあります。お仲間といれば、飲むことは当然の義務です。お腹が空いたときには少しだけすすります。今述べたとき以外、私はシャンパンに手は触れません。もちろん喉が渇いたときは別ですよ。
誰にもシャンパンを飲むお気に入りの時間があるようだ。偉大なシャンパン通にして歴史家のパトリック・フォーブスは、朝の十一時半が好みだと言った。自分の味覚がまだ汚されていないので、あらゆるニュアンスを味わい、泡のひと粒ひと粒を嘆賞できる時間だという。私たちが世界に名だたるソムリエ、フィリップ・ブルギニョンに、シャンパンを飲むのに最適な時間はいつだと思うかと尋ねると、彼は答えた、「芝生を刈り終えたあと」。一九四八年の映画『忘れじの面影』でジョーン・フォンテーンはルイ・ジュールダンに夢見るように言う、「シャンパンは真夜中過ぎのほうがずっとおいしいわ、そう思わない?」
そしてオスカー・ワイルドがいる。フランスに到着したとき、税関の役人に「僕の天才以外申告する物はありません」と言った男だ。シャンパンについては彼はこう言った「シャンパンを飲む理由を見つけられないのは想像力の欠如した人間だけだ」
(『シャンパン歴史物語』「序章 この神聖な土地」p.13より)
あんまりやり過ぎると嫌われますからご注意を。
さて、クリスマスディナーの大本命といえば七面鳥ですが、どうやって料理すればよいのでしょう?
そんな時は『フランス 食の事典[普及版]』にお任せあれ。「クリスマス」の項を引いてみると、ちゃんと七面鳥のレシピが載っています。
●クリスマスの七面鳥 dinde de Noël farcie
ヴィヴァレ地方のルセット。玉ねぎ1個、にんにく2片、七面鳥のレバーと砂肝各1個、水でもどした乾燥ジロール茸100gをみじん切りにする。皮に切れめを入れ、塩水でゆでた栗500gの実をフォークでつぶして加え、七面鳥に詰めて開口部を縫う。胸肉と背の部分に豚の背脂の薄切りを巻き、紐で縛る。ローリエ2枚とともに天板にのせ、ピーナツ油をかけて塩こしょうする。冷たいオーヴンに入れて火をつけ2時間ローストする。白ワイン2カップとジロール茸のもどし汁を混ぜて七面鳥を裏返すたびにかける。
(p.179より)
読んでいるだけで満腹になりそう料理ですね。でもデザートは別腹。クリスマス・デザートの定番、ビュッシュ・ド・ノエルについては、『名前が語るお菓子の歴史』をひもといてみましょう。
●ビュッシュ・ド・ノエル
クリスマスはなんと言ってもまず子供が主役のお祭りであり、家族そろっての食事が中心となる。晩餐は散らばった家族が集まり、話をかわす機会である。それはまた高級な美食の舞台でもある。花綱と玉飾りをつるした樅の木、食卓のろうそく、光であるイエス・キリストの誕生を祝うキリスト生誕群像。装飾は光輝き、それは毎年ほとんど変わらない。食事のあとは、真夜中のミサを眠らずに待つのが伝統だ。そのあいだ、家族はひとりひとりが自分のビュッシュ「薪」をもって火のまわりに集まる。歴史家であり製菓職人でもあるピエール・ラカンは薪の形をしたお菓子を作った。都会のマンションでは続けていくのが次第に難しくなっている伝統を、現在、人びとはビュッシュ・ド・ノエルという形で、そのいわれを知らぬままに口にする。それを自然よりもなお本物らしく見せようと、製菓職人たちは飾りを競い合う。木屑、雪、キノコ、葉っぱ。こびとの木こりがパート・ダマンドの鋸で一生懸命に木を切っている。
(「第四章 聖なるものとお菓子」p.95より)
英語の“Merry Christmas”だけじゃなくて、フランス語やドイツ語も覚えて、年賀状をかねたクリスマスカードを送ってみませんか?
●フランス語
フランスではよく《Meilleurs vœux》と印刷されたカードを見かけます。英語のカードだと《Season's Greetings》にあたるのでしょうか、この言葉のぴったりした日本語訳がみつからないのですが、直訳すれば「最良の祝福」。
この言い方を使えば:
Meillerus vœux pour l'année 2010
謹賀新年2010年元旦
少し変化をつけて次のようにすることもできます:
Mes vœux les plus sincères pour la nouvelle année.
良い年をお迎え下さい(新年おめでとうございます)。
親しい相手で、クリスマスカードをかねるのでしたら簡単に:
Joyeux Noël et Bonne Année!
メリークリスマスそして良いお年を!
(『フランス語手紙の12か月(改訂版)』p.105より)
下記の文面はインターネットから送るeカードでも、紙のカードでも、同じように使うことができます。
objet:Meilleurs vœux!
Joyeux Noël et bonne année!
Je te présente tous mes meilleurs vœux de bonheur et de santé pour 2010.
楽しいクリスマス そしてよいお年を!
2010年のお幸せとご健康をお祈りします。
(『Eメールのフランス語』p.150より)
●ドイツ語
Frohe Weihnachten und alles Gute zum Neuen Jahr!
クリスマスおめでとう。また新年にご多幸を祈ります。
Dir [und Deiner lieben Frau/und Deiner Familie]wünsche ich alles Gute,viel Glück und Gesundheit im Neuen Jahr!
新年にあたり健康と幸運を祈ります。
Ich wünsche Ihnen frohe Weihnachten und ein glückliches Neues Jahr!
楽しいクリスマスと幸せな新年を迎えられますようお祈りします。
(『ドイツ語の手紙(改訂新版)』p.65より)
●中国語
祝您 圣诞快乐 新年如意
(『中国語の手紙』p.234より)
もっと違った表現が必要な方は、実際に本を見てみてください。たくさんの文例が載っています。