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[特集]フィリップ・フォレスト


はじまりとしての愛——荒木経惟をめぐる「物語」——

小黒昌文


 夏休みが終わりに近づくと、フランスの書店には新刊書があふれかえり、ヴァカンス明け特有の活気に彩りを添える。  フィリップ・フォレストの最新刊Araki enfinは、そうした活気に包まれながら、2008-2009年度の始まりを告げる一冊としてガリマール社から上梓された。


 Art et Artistes 叢書に名をつらねる本書は、現代日本を代表する写真家、荒木経惟を主題としたエッセーである。荒木への世界的な評価が高まるなか、一冊の書物として荒木論が刊行されるのは、フランスではこれが初めてであり、広くヨーロッパでも、最もはやい試みである。


 著者自身が序文で述べているように、本書は資料の博捜にもとづいた実証的・学術的な研究をめざしたものではない。フォレストはむしろ、フランスで手にとることのできる写真集や論考のみを出発点として、一枚一枚の写真と向き合いながら、文学的・芸術的教養に支えられた自由な読みを繰り広げる。荒木の作品世界との出会いをとおして編みあげられた、それはひとつの「物語」であり、31枚の写真とともに綴られる31の断章は、その「物語」の詩的な断片にほかならない。


 この荒木論は当初、小説『さりながら』の一部として着想されたものだという。写真家山端庸介の物語に場所をゆずり、結果として宙に浮いたアイディアを独立した写真論としてまとめ直すにあたって、フォレストは、批評的な側面を念頭におきがらも、「小説」としての根を断ち切ることなく、あえて『さりながら』の延長線上に産み落とすことをえらんだ。批評と小説との境界を緩やかに震わせる著者特有の語り口が、本書に効果的な響きをもたらしている所以である。


 すべての出発点としての愛。そして生と死、喪と欲望、あるいは郷愁。これらが交錯して織りなされる荒木の生と作品にたいして、おなじ主題を中心にすえて思索を重ねてきた著者が、身を浸すようにしてわけ入ってゆく。


 「私小説こそ写真にもっとも近い」、とは荒木の言葉である。稀代の写真家が生涯を賭して制作をつづける長大な「私小説」の一端を繙き、寄り添うようにしてそれを読みとくことで、フォレストは、荒木の写真が湛える凄みや哀しみ、そこから溢れでる愛しさに触れさせてくれる。

 副題として選ばれたL’homme quine vécut que pour aimer(愛するためだけに生きた男)とは、江戸文学の傑作『好色一代男』の仏訳タイトルでもある。かつては「憂き世」とも綴られた「浮世」をめぐる世間観への目配せとともに、作者西鶴と主人公世之介の生が密かな倍音として仕掛けられ、文の基調に奥行きを与えていることにも留意したい。


 10月30日、東京日仏学院において、荒木経惟とフォレストの対談が実現する。


(おぐろ・まさふみ : 京都市立芸術大学他非常勤講師。プルースト及び19世紀末から20世紀初頭の文学・文化)


“柔道家”フォレストの肖像 ミカエル・フェリエ/翻訳:小黒昌文
[原文]Portrait de Philippe FOREST en judoka japonais Michaël Ferrier
『さりながら』——エキゾチスムと私小説を軽やかに潜り抜けて 澤田直
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