フランス文学ってどんな風? 読んでみたいけれど、なにから読めばいいかわからない……そんな方にお薦めしたい一冊。マンディアルグ、バルト、クンデラ、ギベールなどの多くの傑作を紹介し、舌や耳、さらにはエロスや死の感覚で味読する卓抜な読書案内。この本の冒頭で紹介されるのはコレットの『シェリ』、ハンサムな青年「シェリ」と倍ほど年上の練達の愛人「レア」の物語である。パリの高級住宅地を舞台に繰り広げられる、ふたりのひたすら豪奢で優雅な日々を、味覚や嗅覚をフルに使って堪能してみよう。
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「良質の身体は長持ちするものよ」というのがレアの持論。彼女の身体がどんな食べ物や飲み物で維持されているのかを知るのも読者の楽しみである。入浴したあとのお昼、マダムは「辛口のヴーヴレと、濡れた雨蛙のように鮮やかな緑色のリュベル産の陶器に盛られた六月の蔕つき苺に思わず微笑みをもらしながら」、「うきうきした気分で」食事をとっていらっしゃる。「奥様は美しい」という賛辞をまなざしに込めた給仕頭に見守られながら。ヴーヴレとはロワール地方産の高級白ワインだそうだ。白ワインというのはこういう風に味わうものなのか。
あるいは風邪を引き込んだように体がぞくぞくしてきたときは? 「うんと濃くしたココアを大きなカップに一杯、泡立てた黄身をなかにおとしてね。それにトースト・パンと葡萄」、というのがマダムが女中に出した指示。ベッドにもぐりこみ、歯ががちがちと鳴りそうになるのをこらえながら熱いココアをすすり、「シャスラ産の白葡萄を一粒一粒たんねんに選んで」口に運ぶ。
実はこれは、レアが生涯最後の恋と思い定めたシェリとの関係が終わりかけ、すっかり落ちこんでしまった夜の献立。シャスラというのはワインで知られるマコン地方の土地で、デザート用葡萄の名産地らしい。心身が弱まったとき、どんなレシピが効くのかをレアはよく知っている。そんな彼女に甘え放題に甘えていたシェリは、どれほど細やかな配慮を注がれたことだろう。いったん恋を清算してからもなお、そのいちいちが不意に思い出されて、シェリの心を激しく揺さぶる。
気晴らしに友人とレストランで食事する。「ポムリー」というシャンペンの名前が出るや、もうシェリは気もそぞろになってしまう。
「レアが彼ひとりのためにとっておいてくれる一八八九年の時代物のシャンペンの、薔薇のような香りが立ちのぼる泡立ちを考えて、思い出の中の芳香を嗅ぐために鼻孔を開いた……。」
香りがこの作品で最重要の役割を演じていることは、このシェリのうっとりとした表情が雄弁に語っているだろう。なにしろ「知的」な事柄には洟も引っかけない人たちである。むしろ嗅覚などという動物的感覚にこそ彼らの驚くべきインテリジェンスが宿っている。小説の全編をとおして、くらくらするほどの強烈な芳香が漂っているが、二人はその刺激をむさぼるようにして生きていく。
(第I部 本の匂い、本の味わい 薔薇色の部屋~コレット『シェリ』より)
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五感で味わうフランス文学
野崎 歓 著 税込価格2100円 (本体価格2000円) 古今のフランス文学の精髄を感覚で味わう 古今の小説を舌や耳、さらにはエロスや死の感覚で味読する卓抜な読書案内。快調なジャズ小説『ある夜、クラブで』、静かな死の匂いを漂わせた『おわりの雪』など多くの傑作を紹介。 |



