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菊地信義 KIKUCHI Nobuyoshi 装幀家 ●対談● 蜂飼耳 HACHIKAI Mimi 詩人

事件が生まれる場所 ─4─

●自分のなかの他者の視線

蜂飼 私にとって、言葉は常に個人的なものだ、という要素がはずせないものとしてあります。それは一人一人体験が違うということで、例えばソシュールなどが言っていることとつながってくると思いますが、一つの言葉に対してそれぞれ違う体験を積み重ねている。あるいは積み重ねてしまってもいる。それを交換して、どういうふうに意味が通じ合っていくのかということに興味があります。通じないと思うんです。コミュニケーションは不可能だ、と思っているんです。日本列島に住んでいて日本語で生きていれば、日本語を使っているから通じ合えるんだということではないはずです。だけど日常の社会においては、言葉の表層では交換し合っているから理解し合える。しかし実はわかり合えないというか、微妙にずれている。微妙なずれが、表層での理解に阻まれて見えないし、いつも押し隠されていると思います。理解が逆に阻むんです。私はそのずれの方が気になって、たとえこの話がいま相手に通じたと思っても、やはりそこでこぼれ落ちたものがある、と感じて、言い表しきれない、伝えきれないと思います。そのあたりの不安や疑いが、一つの単語を漢字にするか仮名にするかという文中での選択に押し出されてくる、ということはあります。菊地さんは装幀をされるときには、テキストの解説であってはいけないとお考えですね。

菊地 装幀者も、作品の前では一人の読者。僕の読み方しか出来ないのです。僕が取り出した作品のイメージ、色や材質感……というのは僕の観念です。その観念をどうやって解体するか、読者の前に開くか、ということが常にあります。僕の読み方、感想で包んでしまったら、情報としてのデザインにしかならない。それを開くために、表現を構成する各要素をどれだけ重層的に出会わせたり対立させたりできるか。読者の目線や身体をどうやって表現に引き込んでくるか、考えるわけです。蜂飼耳を発見してもらう装幀というのが僕の理想です。

蜂飼 まさにその一つ一つが、私の詩を書くときの考え方と非常に似ていると感じます。菊地さんは読者の視線を取り込んだ上でデザインをされていくわけですが、その取り込んだ他者は、実は菊地さんのなかでの他者なんですね。他者だけれど自分、自分のなかの他人というか、自分は他人というか、そういう視線を常に持って本を成り立たせるいくつかの要素を動かしていくことで、初めて一つの音楽のようなものが出現することになる。自分の知らない自分の視線、自分が想定する他者の視線が加わって初めて動き出すんですね。

菊地 蜂飼さんの文章は、何か操作している、といった感じがある。自分の感覚やいうところの個性で対象を料理しているのではなく、感覚や個性が生じる、生じた、対象や場を文章に拵えている。

蜂飼 伝えようとする推進力とまた違った何かだと思うんです。だから場所とか現場を造るというところに動いてしまうんだと思います。

菊地 現場をつくってさっさといなくなっちゃったり(笑)。

蜂飼 いなくならないで、こっそり見ていてもいいんですが(笑)。

菊地 僕が書店の平台で客の本の取り方をそっと見ていたりするようなものでね(笑)。

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孔雀の羽の目がみてる
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孔雀の羽の目がみてる
蜂飼 耳
税込価格1995円 (本体価格1900円)

中原中也賞受賞の現代詩界のホープが、身の回りの情景や心震わす書物を、鋭く澄んだ目で見据え、繊細で鋭敏な五感と言葉でつづった待望のエッセイ集。

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