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菊地信義 KIKUCHI Nobuyoshi 装幀家 ●対談● 蜂飼耳 HACHIKAI Mimi 詩人

事件が生まれる場所 ─5─

●読書空間を支える余白

蜂飼 『装幀談義』のなかで、タイトルの「の」或いは「と」の字について、前後の漢字との配合によって長体をかけたりそのまま使ったりするとおっしゃっていますが、今回のタイトルで「の」に関しては何かお考えがあったのですか。

菊地 タイトルの中の二つの「の」を孔雀の羽の目に見たてて、癖のない書体を選びました。
 この摩訶不思議なタイトルを持った本にまず眼を止めてもらう。それは文字の位置であったり、文字の赤色と白地の関係です。このカバーでは安定してあるべき著者名が奪われています。著者名が無いようなものです。そこで人は著者名を探す。昨日も書店で背を眺めて来ましたが、著者名では見事に効果をあげておりました(笑)。棚で本に出会う距離は三〇センチから五〇センチ、ですから背の著者名はこれでも充分に大きい。それで上から下まで全部がタイトルでしょう。何しろ棚で目立っている。その大きなタイトルに消え入るように、著者名がある。

蜂飼 著者名ということでは、私にとってはそれ自体、私というものの名前ではありますが、同時に登録商標のようなものでもあり、会社名のようなものでもあり、場所の名前でもある。いろんなものが通過し、交差してまた過ぎていったりするような、そういう事柄として考えているんです。事柄に貼りつけるシールみたいなものだ、と。

菊地 それはあなたが言葉に対して思っていることと同じだよね。

蜂飼 ですから別に国に登録(?)している名前で表現活動をする必要はない。むしろ疑わないのは何なのだろう、ということが私の出発点にあります。ですので、名前を小さくするという菊地さんのお考えは、私のそういう考え方を、説明なしに、菊地さんの理解で紙の上に再現してくださった何かだな、と感じました。 菊地 最初の文集だから出来た、ということもある。蜂飼耳の知名度が高くなってしまったら、いやおうなしに名前、イメージがまとわりつく。装幀にも、らしさが求められもする。装幀にとっても『孔雀の羽の目がみてる』は幸せな機会でした。

司会 私家版であれば或る程度自由に出来ると思いますが、われわれ版元のさまざまな制約のなかで、四六判という通常流通している形で、しかも通常の料金設定のなかで今回の深いチリを持った本が実現できた、ということもまた意義深いと思います。

菊地 初めにお話ししましたが機械化されたラインに乗るか、流通上、梱包で傷むことはないか、などいろいろありました。で、最後に残ったのは書店です。書店の棚や平台にちょっとでも大きいと並ばなくなってしまうのではないか。そのとき、版を切って少し短くすればいいんだ、と後押ししてくれたのが、ピラミッド状に見える小口のページの斜面を支えているチリでした。この部分も版面の余白なんだ。読み進めるとピラミッドの高さが右から左へ移動する。ちょうど真ん中で両方同じ高さになる。これが視線から入ってきた文章の量なんですね。この量の変化というのも、読むという行為、読んでいる世界を支えていると思います。最後の数ページになったときの何とも言えない悲しさ。これもまた、チリがあるから感じるのです。

蜂飼 本をそういう角度から見る機会というのは、普段あまりないことだと思います。著者の考えを言葉にして紙の上に印刷し不特定多数の人に提供するということだけでなく、非常に重層的な時空や要素の絡み合い、思いがけない力の関わり方が組み合わさって一冊の本という場所が出現しているのですね。その意味でも、本はひとつの場所ですね。

(了)

「図書新聞」2700号(2004年11月6日)より

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孔雀の羽の目がみてる
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孔雀の羽の目がみてる
蜂飼 耳
税込価格1995円 (本体価格1900円)

中原中也賞受賞の現代詩界のホープが、身の回りの情景や心震わす書物を、鋭く澄んだ目で見据え、繊細で鋭敏な五感と言葉でつづった待望のエッセイ集。

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