懐手
懐手は若いころからの癖のようなものだったらしく、昭和十六年に発刊された句集『大足』にも、手を引っ込めた波郷の姿が見てとれる。句集の扉に著者の写真が掲載されているが、「一高前」の駅名表示板を背景に、プラットフォームに着流しで立っている。両手は懐に入れて、前方を見つめた二十代後半の姿である。
「一抹の微風にも堪えたその細長の切目、やや年長けた青春の放恣の中に、『古典と競い立つ』不敵な作家魂を宿したその爽やかな風貌――この一枚の写真は僕の端的なこの作家への憧憬と、後年の上京の夢を促した」(森澄雄「やさしさと強さと」)
同じ大正生まれの俳人森澄雄を、上京に導いたという写真である。
男が和服を着ることなどほとんどなくなった現在では、懐手といっても死語の部類かもしれない。俳句では冬の季語になっており、『波郷編 現代俳句歳時記』(番町書房)には「着物、もしくは丹前を着たとき、袂の中や胸もとに手を差し込んで、手指の冷えを防ぐ」と説明してある。ついでに角川書店編の『合本 俳句歳時記新版』を開くと、「多くは無精者のすることで、あまり見てくれのよいものではないが、和服特有の季節感はある」と、つけ加えてある。
たしかに無精な形だし、尊大に思われる恐れもある。森氏が不敵な作家魂を読みとったのも、いくらかは懐手のポーズに影響されていたのではないか。ふつうなら句集の扉になど使わない写真だが、本人の意図ではないにしても、平気で掲載したのは若さゆえの傲慢というより、波郷にとってはごく当たり前の日常のスタイルだったからだろう。
写真を意識してわざと懐手をしたのではないことは、当時の句集に懐手の句が散見されることでも明らかだ。
寒椿つひに一日の懐手波郷の句としてよく知られ、ムーランルージュの芝居にもなったというこの句も、『大足』に収められている。
懐手は、それ以前からの習慣だったようで、『大足』に先立つ昭和十四年、波郷二十六歳で刊行された実質的な第一句集『鶴の眼』にも、すでに、
苺食ひ談了りたる懐手の二句が見える。
英霊車去りたる街に懐手
苺をつまみながら人と話をし、用件を終えると懐手になって、たぶん後年の波郷がそうであったように、視線を遠くに移していたのだろう。戦時下とあって英霊の車の前では、さすがに袂から手は出したものの、車が行きすぎれば再び懐手。用もないのに手を出すのはまっぴらだと言わんばかりである。
(本文より)
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波郷の肖像
石田 修大 著 税込価格2415円 (本体価格2300円) 懐手、好物、裸身、住居、妻、そして壮絶な闘病生活……。昭和の俳聖・石田波郷が、肉親にしか見せなかった十二の素顔を、子息が静かに見つめなおす、豊かで感動的なドキュメント。 |
| 【目次】 | |
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| 肋骨欠如感 / うちむらさき / 懐手 / 時間金持 / 木葉髪 / 見舞妻 / 鶴酒場 / 西行忌 / 隠子 / 運河 / 微笑 / 鵙 / あとがき | |



