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ちょっと立ち読み
イデーの鏡 

 このエッセー集は、「男と女」「愛情と友情」「ネコとイヌ」「ドン・ジュアンとカサノヴァ」といったように、対をなす概念やキャラクターを論じた、58の短章からなっている。こうした対概念を鏡にたとえて、『イデーの鏡』と銘打ったわけである。

 著者は、こうした組み合わせを、ときには哲学的に、ときには皮肉っぽく、そして常にエスプリたっぷりにさばいていく。われわれは、著者のみごとな采配に拍手するもよし、あるいはこれは違うのではないのと異議を唱えるもよし、彼の文章と知性と対話していけばいい。そして各文の最後には、「引用」という落ちが待ち受けている。たとえば地下室と屋根裏部屋を生と死というコントラストで考察した章では、サン=テグジュペリの『南方郵便機』の一節がさりげなく置かれるといった具合。(中略)とにかく、読者は、好きな時間に、好きな場所で、この本の適当なページを開いて、短い章を読んで、思索や連想にふけることができるという、なかなかに便利な本なのである。
(『イデーの鏡』訳者あとがきより)

*     *     *

 まっとうな家には、かならず地下室と屋根裏部屋がついている。この両極端の場所は、暗いということでは同じだとはいっても、その暗さの中味はずいぶん異なっている。地下室に、明かりとりの窓から降ってくるかすかな光は、庭や通りなど、地面からやってくるのであって、そこが太陽の光でにぎわうことはほとんどない。それは、清浄ならざる光、ふるいにかけられ、弱められた光なのである。これとは逆に、屋根裏部屋では、屋根にじかに開けられた小窓が、天空と向き合っている――青空や、雲や、月や、星たちと向かい合っているのだ。

 それでもやはり、地下室は生命の場所であり、屋根裏部屋は死の場所なのである。(中略)屋根裏部屋の空気は、ほこりとしおれた花のにおいがする。そこにいけば、乳母車が、手足のもげた人形が、裂けた麦わら帽子が、ページの黄ばんだ絵本が、そしてはるか遠い昔のできごとを声高に報じた新聞が見つかる。温度差も激しくて、夏はうだるような暑さなのに、冬ともなれば、凍てつくほど寒い。屋根裏部屋で大きな箱やトランクが眠っていても、その中味を詮索しすぎるのは考えもの。一族の恥ずべき秘密や、つらい秘密を呼び覚ましてしまうかもしれないのだから。

 屋根裏部屋にのぼっていく階段では、キュッキュッと乾いた木がきしむ音がするけれど、地下室におりていく、ひんやりと、しめった階段は、かびくさくて、ねっとりした土のにおいがする。ここは季節を通じて温度は一定で、冬は暖かく、そして夏は涼しく感じられる。屋根裏部屋が過去を向いた存在であって、記憶と保存がその機能であるのに対し、地下室では、次の季節が熟している。天井の下ではエシャロットの束がゆれているし、鉄の仕切り棚に寝かせられたワインは、そのまろやかさを増している。(中略)

 そう、地下室には、しあわせの約束が埋もれているのだ。その家の生きた根っこが、地下室まで深くのびているのである。かたや屋根裏部屋には、思い出や詩情がただよっている。

〔引用〕

 十歳のころ、ぼくたちは屋根裏部屋の木組みのなかに隠れ家を見つけた。死んだ鳥、大きく口をあけた古いトランク、異様な服――ちょっとした人生の舞台裏なのだった。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『南方郵便機』

(『イデーの鏡』より)

イデーの鏡
もっと詳しく
イデーの鏡 
ミシェル・トゥルニエ著/宮下 志朗 訳
税込価格2520円 (本体価格2400円)

 「男と女」「愛情と友情」などの対立概念を鏡のように向かわせると、個別では読み取れなかった奥深い本質が現われる。滋味溢れる文章で「考えるヒント」を与えてくれる、軽妙なエッセイ。

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