フライブルクの西隣り、ライン川のすぐ近くにメルディンゲンという小さな町があって、この町の小学校には200人ほどの児童が通っています。この学校は10年以上前から、ゴミのない学校として全国に有名です。校舎には処分ゴミ用のゴミ容器はただ1つ、小さなバケツだけしかありません。
一年生の教室には、木わくとガラス板でできた薄い箱が置かれています。中には土や砂、落ち葉が入っています。これが子どもたちのマスコット、ミミズの「カーロ」のすみかです。暗い所が好きなカーロのために、ふだんはガラス板の外に木の板の「雨戸」をおろしてそっとしておいてあげます。そして毎日一度だけ、雨戸を開けて、カーロの様子を観察します。
「カーロってすごいなあ、こんなに小さいのに一晩で土を掘り返したよ」
「入れておいたコーヒー滓や茶がらをいつのまにか土に変えてしまったね」
「でも、プラスチックやアルミはまだ残ってる。カーロはプラスチックやアルミは嫌いなんだ」(中略)こうして子どもたちは、先生に教わらなくても、何が「本当の悪いゴミ」なのかをハートで分かるようになるのです。(中略)
家庭の様子も変わりました。
「お母さん、缶やプラスチックはカーロが食べられないよ。水やビールはリユースビン入りのを買ったらどお」と、子どもたちの方がお母さんに「環境教育」したのです。それで、この町のおとなも、ゴミが出ないような買物をするようになりました。町の店にはリユース容器入りの飲料や食料品がたくさん置かれるようになり、数年前に町は、住民一人当たりのゴミの量が州内で一番少ない自治体になったほどです。
子どもたちは、大好きなカーロの本当のすみかである自然にも目を向け、自然の中にはゴミは一つもないことを発見します。枯葉や枯れ枝はいつかは土に帰って、腐葉土として土を豊かにしてくれるからです。
放課後になると有志の子どもたちは、子どもたちの活動を支援する「生物のすみかを守る会」という市民グループのおとなたちといっしょに、街路樹などの剪定で出た大きな枝を町周辺の畑に運んでいきます。これらの枝を畑の縁ぞいに積んで、「枯れ枝のヘッケ」をつくるのです。ヘッケという言葉はふつう「生け垣」と訳されていますが、灌木帯や灌木のしげみという意味もあります。ヘッケは生態学的に貴重なビオトープ(生物生息空間)です。さまざまな鳥や爬虫類、昆虫などのすみかを提供してくれるからです。(中略)子どもたちは、カーロのすみかである自然のためになにかしてあげたいと、こうした活動にも積極的に参加します。そして手足を使った活動を通して、自然界では物質が循環していることをおのずと理解するのです。
(『ここが違う、ドイツの環境政策』より)
* * *
私は「ドイツのまねをしましょう」と主張しているわけではありません。(中略)
もし、ドイツからなにかを学ぶとすれば、市民の意識や実行力ではないでしょうか。
なぜドイツ人の環境意識が高いのかという問いに、「森を愛するゲルマン民族の精神」とか「ドイツ人は物事を真剣に考え、哲学するから」と答えるドイツ人がいます。日本もかつては自然を愛で、自然と調和して生きる伝統をもっていましたし、「まじめ」ですから、「環境先進国」になれる素地はあるはずです。経済が景気の底からなかなか脱出できないでいるいまこそ、この素地を生かす潮時なのではないでしょうか。
(『あとがき』より)
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ここが違う、ドイツの環境政策
今泉 みね子 著 税込価格1785円 (本体価格1700円) 環境先進国ドイツは、エネルギー・交通・ゴミ・水・教育・観光等の問題にどう対処してきたのか。できるだけ身近で有益な具体例で学ぶ、学生・市民・企業・自治体必読の環境読本。 |



