文庫クセジュが創刊されたのは、1951年のこと。以後、半世紀以上に渡って様々なタイトルを送り出し、2006年5月、900点目となる『サルトル』と901点目の『サンスクリット』を刊行いたしました。 900点突破を記念した本特集では、文庫クセジュの現・担当編集者と歴代の担当者からのメッセージを、みなさまにお伝えいたします。
| ■Contents■ ▼「文庫クセジュ」は脳に効く!! ▼歴代担当編集者が語る「文庫クセジュと私」 ●黄色い本● ●知の宝庫● ●私のおすすめする一冊● ▼文庫クセジュ常備店一覧 |
【文庫クセジュ900】
『サルトル』 |
【文庫クセジュ901】
『サンスクリット』 |


信じられないでしょうが、脳に効く(かもしれない)のです、文庫クセジュは。そのことはあとで述べるとして、最近のラインナップのなかからいくつかをピックアップしてみましょう。
『科学哲学』──中学ではじめて哲学について習ったとき、「万物は水からできている」とか「物質は原子から構成されている」などときいて、なんか哲学って理科っぽいと思いませんでしたか?
『お風呂の歴史』──本文もさることながら、訳者高遠弘美さんの「訳者あとがき」はトリビアに満ちていて、もっとつづきを読みたいと思わせます。
『フランス領ポリネシア』──クセジュらしからぬ小説風の書きだしは、一気に南の島へ連れていってくれます。じっさい、訳者の管啓次郎さんは、南の島に滞在中、ときおりペンギンを観察したりしながらこれを訳されました。
『サルトル』──サルトルの教え子でボーヴォワールの恋人が、ボーヴォワールの教え子でサルトルの恋人と結婚して……その妹もサルトルの恋人で……ようするに、知の巨人も思索にふけってばかりいたわけではないということでしょうか。
『サンスクリット』──2030年には、インドが世界最多人口の国になる可能性が高いらしいのです。そのときにそなえて、もっとインドについて知っておくのはいかがでしょう?
ほかにも、ワールドカップ・ドイツ大会を迎えて、必読の『フーリガンの社会学』や、しばらくその情勢から目をはなせない『拡大ヨーロッパ』などが挙げられます。 このように硬軟とりまぜ、国内のはやりにとらわれない文庫クセジュは、新書が軟弱になりつつあるなかで新書本来の啓蒙主義を堅持しています。
さて、「知る」ことも大切ですが、「知識をふやす」という行為そのものにも意味があります。「知識がある」で満足してしまわないためにも、むしろこちらのほうが大切かもしれない。つまり、知において運動態であること、いわばこのフットワークの軽さこそが肝要で、そのトレーニングにはもってこいの教材が文庫クセジュなのです。
巷の「脳トレ」よりもきっと効く文庫クセジュ。もっと幅広く人びとに愛読されることを願ってやみません。
(中川すみ/現・文庫クセジュ担当編集者)

◎ 黄色い本 ◎
白水社には「クセジュ10年」という言葉があって(もちろん「苦節10年」のもじりなんですが)、前任者からひきついで以来、白水社文庫クセジュの55年の歴史のなかの約5分の1を担当させていただきました。
800番の刊行を記念したリニューアルからも、はや8年。いまや文庫クセジュカラーとして定着した感もある「黄色い本」が、100冊以上も誕生したことになります。
それ以前(700番台まで)の、ギリシア神話の神々のシルエットをモチーフにした、真鍋博さんのデザインによる装丁はカラフル(黄土色:ゼウス、みかん色:ヘラクレス、紫:アレス、空色:アポロ、ピンク:アプロディテ、緑:アテナ)でした。
リニューアルにあたっては、帯(青色)をつけることにしたわけですが、その表側にはモンテーニュが愛した「クセジュ・コイン」をロゴマークのようにあしらうことを考え、その裏側には「クセジュという言葉の由来」をコンパクトに文章化させていただく光栄に浴することができました。

そんな「青い帯」を腰に巻いた「黄色い本」たちのなかで異彩を放っているのが、『子どもの絵の心理学入門』(フィリップ・ワロン著、加藤義信、井川真由美訳)です。
ご覧いただければ一目瞭然なのですが、この本だけは例外的に、カラフルな装丁になっています。本の内容の理解のために、原書所収のカラー図版を、カバーの表と両袖で紹介したからです(文庫クセジュとしては珍しく、もちろん本文中でも)。それゆえか初版の出だしからして、売れ行き好調だったのをよく覚えています。
白水社は2005年に卒寿(90周年)を迎えましたが、クセジュの「寿命」が900超まで永らえられたのも、読者の皆様からのご支持あってこそ。ここに、あらためて感謝申し上げます。
(和久田頼男)
◎ 知の宝庫◎
もう20年以上まえのこと、入社してすぐに命じられたのが文庫クセジュの編集だった。おお、このようなシリーズを担当すれば、スカスカの頭もいつの日か、知の宝庫と化すだろう、と私は奮い立った。それまで読んだことがあるのは『ラブレーとルネサンス』『シャンソン』(品切れ)『十六世紀フランス文学』など片手で足りるほどで、けっしてクセジュのいい読者ではなかったが、まあしょうがあるまい。
こうして、上司のキビシイ指導のもと、本文割付、原稿(翻訳)チェック、校正という編集の基本を習いながら1冊また1冊とこなしていった。活版印刷のころだったから、組みあがったばかりのゲラはインクのいい匂いがした。
刊行ペースは3か月で2冊だったので、べつに忙しくはなかったが、夜も上司の「指導」はつづいたから、けっこう気骨が折れた。夜の指導とはすなわち、おまえはまるでなっちょらん、モノ覚えがよろしくない、と夜な夜な酔っぱらい特有のくどくどしさで繰り返すというものだったから、ある晩腹に据えかねた私は左のストレートを見舞ってしまい、上司はバーの止まり木から転がり落ちた。
そんな出来事があったとはいえ、仕事そのものは楽しかったし、誰が言い出したか、苦節十年をもじった「クセジュ十年」という、自負と自虐がない交ぜになったことばに共感もしていた。クセジュは薄手の本ながらギュッと絞った濃縮果汁のようなものだから、下手な翻訳者が薄めるととても飲めない(読めない)代物になってしまうのだ。

さて、私の1冊は『パスカルの哲学』(ジャン・ブラン著、竹田篤司訳)。じっさいに担当した本ではないのだが、まったく翻訳臭のない、名人の至芸である。たんにフランス語がよくできるだけでなく「ジャン・ブランのフランス語」に通じていないと、こういう翻訳はできない。昨年世を去った碩学のすばらしい仕事ぶりをたたえたい。
ところで、冒頭に申しあげた「知の宝庫」うんぬんだが、次の1冊にとりかかると前の1冊の知識は頭からおもしろいように抜けていき、私が賢くなる日はとうとう訪れなかった。
といっても、もちろんそれはクセジュのせいではない。
(小山英俊)
◎ 私のおすすめする一冊◎
『ダンテ』(マリーナ・マリエッティ著、藤谷道夫訳)

ダンテは1265年に中部イタリアのフィレンツェに生まれた。1302年、心から愛する故郷の町を追われ、そののちは亡命の生活をよぎなくされ、1321年ラヴェンナの地に没するまで、ついにフィレンツェに戻ることはなかった。
その間、彼の名を詩聖として後世にまでも残すことになる『神曲』をはじめとする数々の作品を残している。 彼の人生は二つの喪失によって特徴づけられている。一つは、彼がこよなく愛する女性、ベアトリーチェの夭折であり、これによって詩人としての個を確立した作品『新生』が生み出されている。もう一つは、フィレンツェからの追放であり、帰るべき故国の喪失である。彼を追放し、死刑判決を科したこの出来事は、彼から現実生活を、政治家としての経歴を奪うことになった。この社会的な喪失によってダンテは、愛する個人の死を悼む詩人から、社会正義の死と神の道の喪失を悼む詩人となるのである。
本書の意図は、ダンテの作品を読むための導入役を務めることにあり、その特徴はコンパクトな体裁を持ちながらも、ダンテが生きた時代と彼を取り巻く世界が、いかにその作品と深くかかわり、その作品のなかに大きな足跡を残しているかを明らかにしている点である。今まで見過ごしにされがちであった政治、経済、哲学、宗教、芸術面における当時の時代状況に光を当て、ダンテの生涯と作品を立体的に浮かび上がらせている。
(芝山博)




