■「history」から「story」へ
清岡智比古:今日は『灯台守の話』を盛り上げようということなんですけれども、お集まりのみなさんはきっと、岸本さんのファンの方が多いと思うんですね。翻訳のファンの方もいらっしゃいますし、エッセイのファンの方もいらっしゃるので、みなさんに、本では窺い知れない岸本さんの素顔を少し見ていただければよいなと思っております。
『灯台守の話』は今日買って読むのを楽しみにしている方もいらっしゃるはずなので、あまりネタバレ的なことを言ってもまずいと思いますので、作者であるジャネット・ウィンターソンという人の話をしながら、作品に繋げていきたいと思います。では、ジャネット・ウィンターソンについて、簡単にご紹介していただけますか。
岸本佐知子:『オレンジだけが果物じゃない』(国書刊行会)という私が翻訳した作品がありまして、これがかなり自伝的要素に忠実なお話なんです。イギリスの北の方の炭坑町で生まれ育った人なんですね。ちょうど清岡さんや私と同い年ぐらいの1959年の生まれ。「生まれ」と言ったんですけれど、実は生まれたのはどこかわからなくて、彼女は孤児だったんです。孤児院にいたところを、今の養父母に引き取られた。
その養父母が、ペンテコステ派という、キリスト教の中でもかなりカルトな、強烈に排他的な一派の信者だったんです。特にお母さんが熱狂的な信者で、処女懐胎を自分でもやりたくなって、結婚はしていたんですけれども、他所から子どもをもらいたいということで、ジャネットを孤児院から拾ってきて、徹底的に英才教育を施すんですね。この世には天国と地獄しかない、そして天国に行けるのは私たちペンテコステ派の人たちだけで、あとは全員地獄に堕ちるという風にずっと教えられて育った。家にも本が5冊ぐらいしかなくて、そのうち1冊は聖書で、あとはブロンテ姉妹とロマンス小説しかなかったらしいんです。
清岡:聖書を教科書代わりにしていたという話ですね。
岸本:学校にも行かせないで、朝から晩までお母さんが全部聖書になぞらえて読み書きも教えて。12歳ぐらいで宣教師になって、ペンテコステ派の教会で説教壇に立って、説教をするようになった。でも、お役所にばれてですね、仕方なくお母さんも彼女を小学校に通わせるようになったんですけれども、聖書しか知らないから学校ではまったくの異分子なんですね。地獄がいかに恐ろしいところか教えるためにうっかり級友の首をしめて泣かせたり……。
清岡:小説の中で「ラスボーン製鉄所の裏のゴミ溜めに頭まで浸けて洗礼してやる」と脅かすと、女の子たちが震え上がると。この脅かし方が面白いですね。
岸本:バプテスマみたいな(笑)。家庭科の刺繍の授業の時、みんながピンクや緑でひつじさんなんかの刺繍をしてるのに、彼女は黒一色で、地獄で罪人が炎に焼かれているような刺繍をしたり、学校で浮きに浮きまくるんです。それでも教会があるから平気だったんですけれども、15歳の時、同い年ぐらいの女性に恋をしてしまって、すごく深い仲になった。それが親にばれ、教会にもばれて、手足をロープで縛り付けられて悪魔払いの儀式までされて、とうとうお母さんと絶縁状態になり、家を飛び出した。そこから自活して、いろいろあって作家になった、というのが大体の経歴です。
清岡:今紹介していただいた中にもいろいろな要素が入っているんですけれど、特にこれは第一作なので、種子のような形で、ジャネットの持っているいろいろなものがたくさん入っている。大抵第一作というのはそういうものですよね。特に成長する人の場合は、成長する種が後から見るとわかる。ですからジャネットを知るには、『オレンジだけが果物じゃない』が出発点になるでしょうね。
自伝的な要素ということで……物語という言葉と、歴史という言葉が出てきますが、これは英語では?
岸本:「story」と「history」ですね。
清岡:この二つは、語源的には重なっているわけですよね。「history」という単語は考えてみると最初の2文字を削ると「story」ですね。フランス語では「histoire」という単語があって、「story」と「history」両方の意味があるんですね。「history」から「story」という言葉が分かれていったみたいなんですけれども。「history」の前は「historia」とか、ラテン語だと「histor」という単語があって、これは、知ることとか、知っている人とかいう意味なんですね。
それをさらに遡ると、サンスクリット語のヴェーダとかに行き着くということで、ようするに語源は見るとか知るということのようなんですね。そうすると、「story」と「history」は元々兄弟の単語だったので、知る、あるいは見る、ということの二つの形という風に捉えることができる。「stoty」として捉えるということと「history」として捉えるということは、どのように違うんでしょう。
岸本:答えになるかわからないんですけれども、彼女は「history」というものは全く信じていない人だと思います。「history」というのは「his story」とも読めますよね。それは語源とは関係のない偶然だと思うんですけれども、歴史というのはけっきょく他の誰かの視点で語られたお話なわけですよ。そして往々にして権威側のお話でもある。例えば、ナポレオンがどこかに遠征しました、行って帰ってきました、負けました、とかね。そういう話というのは、自分が見たわけではなく、教科書に載っているから私たちもそういう風に信じているけれども、本当にそれでいいの?というのが彼女の出発点なんです。だから「history」としてみんなが信じ込んでいることを、もう一度自分の中に入れて、自分の血肉の通ったお話にすることでしか、なにも始まらないということを繰り返し言っているようです。
清岡:なるほど。図式的に言うと、死んでいたようなものを自分で生き直すことによって、「story」として自分に意味のあるものとして立ち現れてくるという。
岸本:その過程で、ナポレオンが、実はロシアには行きませんでした、という風になってしまったとしても、それはその人の物語であるんだからいいのだ、くらいな感じでしょうかね。
清岡:その後に続く『さくらんぼの性は』ではクロムウェルが出てきたりするわけですよね。それもやっぱりひとつの「history」を「story」にしていくということの繋がりと言ってよいのでしょうね。
次ページへ



