
禁じられた小説を読む、秘密の読書会に集う女たちの苛酷な運命とは……。全米で150万部、『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストに2年以上君臨した超ロングセラーの邦訳が、絶賛発売中です。
この特集ページは随時コンテンツを追加してまいりますので、どうぞおたのしみに!
本書は、イラン出身の女性英文学者アーザル・ナフィーシーによる、イスラーム革命後の激動のイランの内情をつづった文学的回想録です。
13歳のときから欧米で教育を受け、革命後に帰国し、テヘランの大学で英文学を教えていた著者は、抑圧的な大学当局に嫌気がさして辞職し、みずから選んだ女子学生7人とともに、ひそかに自宅で西洋文学を読む読書会をはじめます。とりあげた小説は主としてナボコフ、フロベール、ジェイムズ、オースティンなど、イランでは禁じられた西洋文学の数々でした。
革命後のイランは、生活の隅々まで当局の監視の目が光る一種の全体主義社会となり、とりわけ女性は自由を奪われ、厳しい道徳や規則を強制される恐怖の毎日でした。そうしたなかで秘密の読書会は、圧政の下に生きる女たちにとって、ささやかながら、かけがえのない自由の場となっていました……。
[目次]
第一部 ナボコフ
第二部 ギャツビー
第三部 ジェイムズ
第四部 オースティン
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平穏な時期が長くつづいたあと、一九八八年の冬の終わりから春の初めにかけて、テヘランへの空襲が再開された。あの数か月を、テヘランに降りそそいだ百六十八発のミサイルを思うとき、私は決まってあの春の奇妙な静けさを思い出す。イラクがテヘランの石油精製所を攻撃したのは土曜日のことだった。その知らせは、最後の爆撃から一年以上も心の中に潜んでいた過去の恐怖と不安を呼びさました。イラン政府はバグダードを報復攻撃し、月曜にはイラクがテヘランに対して第一弾のミサイル攻撃を開始した。それにつづく攻撃のすさまじさゆえに、この事件は、過去九年間の私の経験すべてのシンボルとなった──まるで完璧な詩のように。
*当コーナーでは、第三部の19~25章をお読みいただけます。 続きはこちらから![]()
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著者は言う。「小説は寓意ではありません。それはもう一つの世界の官能的な体験なのです。……彼らの運命に巻き込まれなければ、感情移入はできません。感情移入こそが小説の本質なのです。小説を読むということは、その体験を深く吸い込むことです。さあ息を吸って」
感情移入とは、なんと懐かしい言葉だろう。そしてこれはなんと普遍的に響く言い方だろう。もしかしたら、わたしたちがなくしかけているのも、この素朴な行為、あらゆるものへの感情移入なのかもしれない。(朝日新聞2006年10月1日付紙面より)……全文はこちらから![]()
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他者の心を理解する能力の欠如という悪こそ、ここで取り上げているさまざまな文学作品に、とりわけナボコフの『ロリータ』に登場する、ニンフェット愛という病に取り憑かれて、他者のみならず自己をも破滅に導いてしまう怪物的なハンバートに、著者が見出すものだ。彼女は最後の大学を辞めてから、これまでの教え子たちのなかで文学を愛する熱心な女子学生七人を選び、週に一度自宅に招いて『ロリータ』の読書会を開いた。すると彼女たちは全員一致して、ハンバートに人生を収奪された少女ロリータに圧倒的な共感を示したという。全体主義的な物の見方につねに反対を表明していた、亡命作家ナボコフの『ロリータ』が、革命後のイランに生きるこの女性たちにとって最も身近な小説として読まれたことに、わたしは感動を覚えざるをえない。(毎日新聞2006年9月17日付紙面より)……全文はこちらから![]()
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革命に揺れ、イスラーム政権の嵐に揺れ、イラクとの戦争でミサイルに揺れるテヘランで、英文学者である著者と学生たちは『ロリータ』や『ギャツビー』、『高慢と偏見』などの小説をいかに読み、それぞれの人生とこれらの作品はいかに切り結んだのか。その経験を愛情深い筆致で細やかに紡ぎながら、本書は、イラン革命とはイラン社会に生きる者たちにとって何であったのか、イランに生きるとはいかなることなのか、そして、小説とは、小説を読むとは、根源的に、人間にとっていかなる営みであるのかを私たちに教えてくれる。『テヘランでロリータを読む』は、痛みと美しさに満ちた、稀有な、小説ならざる「小説」である…… 続きはこちらから![]()
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お読みいただいた書店員さんからも、続々とコメントが寄せられています。その一部をご紹介。
●混乱に満ちた圧政の下にあっても、優れた文学のもつ力が読者を揺さぶり、無感覚から解放することを語りかける傑作。(在岡正人/丸善丸の内本店)
●複雑な情勢下で暮らしている彼女たちは、自らをより複雑な立場に追いやることになったとしても、やめることのできなかった読書会。文学の力ははかり知れないのです。(松川智枝/啓文堂書店吉祥寺店)
●他国の革命という触れることに躊躇してしまうような熱狂についての本ではあるけれど、最も身近な本が登場しているせいで冷静ではいられなくなってしまいました。
読書は一人でしなくちゃならなくて、受け止め方もそれぞれ、という当たり前のことがどうして危険な行為なのか、本を読む人にとっては重々承知でしょうが、承知している人こそ読んでもらいたい、と強く思っております。(林 香公子/ブックファースト渋谷店)
◆ブックファースト渋谷店様(2F)では、本書に登場する『ロリータ』『グレート・ギャツビー』や『デイジー・ミラー』をはじめ、多数の関連書籍も併せて展開していただいております。(06/11/2追記:終了しました。ご来場ありがとうございました。)

●友人たちと好きな本や作家について語るのはとても楽しいことだ。でも、自らの宗教と政治的信念と人生をかけて、それを否定してくる人に向かって、それでもその本が存在すべき意義を説明することなんて可能だろうか。
日々アメリカに対する敵対心が強まり、アメリカ的であるものが排除されていくイランの大学で著者はアメリカ文学の授業を行う。著者が授業の中で行う模擬裁判のくだりは一語一語のやり取りがぞくぞくするほどスリリングだ。著者自ら被告である書籍『グレート・ギャツビー』となって弁護人である生徒とともにその良さ、その意義を伝えていく様子は作品への深い愛と理解と情熱に裏打ちされ、見事で、どんな授業より素晴らしい。
どんなに著者が素晴らしい講義を行おうと、当時イランという国の政治や政策は変わらないわけで、読んでいてもやりきれなさと徒労感が残る。でもイランで著者に接した人や生徒の何人かは心の奥底に何かが残り、その後の人生に知らずとも影響を与えられた人もいるはずだ。著書自身の人生と分かちがたく結びついた文学への愛が、著者をこの上なく強い人間にしたように。(前田恭子/青山ブックセンター六本木店)
◆青山ブックセンター青山本店様でも、多数の関連書籍を集めてフェア展開していただいております。

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本書の刊行に先立って作製したパイロット版(「第二部 ギャツビー」を収録)を、読者のみなさまにモニターしていただきました。お寄せいただいたご感想の一部をご紹介いたします。
●楽しみのための読書会とは明らかに違うにもかかわらず、読書の喜びが伝わってくるのは、著者が文学を心の底から信頼しているからだろう。読み込む背景には楽しめる余裕などひとつもないが、彼らの読書体験を読んでいると『ギャツビー』を無性に読み返したくなる…… 続きはこちらから![]()



