言葉を切り口に、現代フランスの社会や文化、フランス人のメンタリティなどについて語ってみよう……というとても魅力的だが、微妙な試みに乗り出してから、数年になる。 ふだん、なにげなく聞いたり話したり読んだりしていたフランス語に(もうすこしばかり)注意を払うと、実際、たくさんの言い回しや慣用句が使われていることに驚く。 それまでは、フランス語の専門家でない自分の立場に甘えて、おもしろい言い回しを聞いても語源や背景をあまり追究したりはしなかったのだが、この試みのおかげでいくつもの発見があった。とりわけ、いま使われているフランス語の中に、一,二世紀前はおろか、ときには中世にまで遡る言葉が生きていることに、ある種の感銘を覚えた。(「はじめに」より)
* * *
友人に、パリから週末に行ける距離にある田舎町の市長さんになった人がいる。週日はパリで本職につき、週末に市長の仕事をこなす。(中略)週末しか現地にいない市長なんて住民をばかにしている、と前からわたしも思っていたので、「平和そうな村だから面倒な問題とかはないんでしょう?」ちょっといやみを言ってみたら、こんな答えが返ってきた。
「いや、どうして市長たるもの、山羊もキャベツも大事に扱わないといけないからね。苦労してるんだよ」
その村で、キャベツ栽培と山羊の牧畜をしているわけではない。「山羊もキャベツも大事に扱う」(énager la chèvre et le chou)とは、利害の相反する双方にうまい顔をすることだ。
フランスでは、何につけても全員が満場一致で賛成することはまずありえないが、一見のどかな小さな村の中でも、利害の対立するグループがちゃんとあるのだ。もっとも、どこの国でも政治家はなるべく多数の有権者から気に入られようと八方美人を心がけ、その結果、行政はしょっちゅう「山羊半分、キャベツ半分」(mi-chèvre, mi-chouまたはchèvre-chou)、つまりどっちつかずの生半可な措置をとっている。(中略)
ところで、山羊とキャベツの関係とはつまり、食べる側と食べられる側の究極の対立だ。ふつう、加害者対犠牲者の比喩は、ラ・フォンテーヌの寓話でおなじみの「狼と子羊」(Le loup et l'agneau)が一般的で、山羊とキャベツの対比では、いまいちピンとこないはずだ。しかも、山羊をよく見かける乾燥した南フランス地方では、キャベツを栽培していない。実は、この言い回しの語源は、十三世紀以前に遡る古い謎かけだという。
「狼と山羊とキャベツを、一艘の舟で川の向こう岸に移動させたい。狼は山羊を食べようと狙っているし、山羊はキャベツを食べようとする。どうすれば、全員を無事に連れて行けるでしょうか?」
答えは次の通り――。
1 山羊を向こう岸に連れて行く。残った狼はキャベツなど食べない。
2 戻ってきた舟でキャベツを向こう岸に運び、その舟に山羊を乗せて帰る。
3 山羊をこちらの岸に置いて、狼を向こう岸に連れて行く。
4 カラで戻った舟で最後に山羊を向こう岸に連れて行く。
ふうぅ、ご苦労さまでした。
(『つばめが一羽でプランタン?』より)
|
つばめが一羽でプランタン?
飛幡 祐規 著 税込価格1890円 (本体価格1800円) ちかごろのフランス人は、逆境にもめげず、リバイバルの知恵をあみだす! つらい冬を乗り越え、「プランタン」の訪れを恋い焦がれるように――。寄り道が楽しい、愉快なエッセイ。 |



