知的で説得力に富み、官能的で鋭敏……なんという傑作! ――『ガーディアン』紙
夫とわたしは夕食をとっている。ネギの細長い切れ端が、夫のひげについている。夫の口の動きに合わせてネギが上下するさまは、虫が草にからまっているようだ。それをぼんやり眺めているわたしは、ありふれた生活を送っている若い女。このときはまだ死んでも、生まれかわってもいない。二度目の死――次のわたしの死は、世間の目にはそう映るはずだ――を迎えるのもまだ先のことだ。始まりは終わりにつながり、それはウナギが丸くなって自分の尾をのみ込むのと似ている。さて、ここに登場するわたしは生きていてまだ若いが、夫はすでに年配だ。わたしたちは細身の杯をかかげて、ぶどう酒を飲む。わたしの杯には「人の希望はガラスのごとく脆く、人生もまた短し」という文字が刻まれている。少しずつ減っていくぶどう酒越しにのぞく訓戒の言葉。
コルネリスはパンを一切れちぎってスープにひたし、しばらく噛んでいた。「ところで、おりいって相談したいことがある」と言って、ナプキンで口もとをぬぐった。「このはかない人生で、われわれはだれしも永遠の命を求めずにはいられない」
さて、そのあとの夫の言葉は意外なものだった。「そのために、画家を雇うことにした。ヤン・ファン・ロースといって、アムステルダムで将来を嘱望されている画家のひとりだ。」
* * *
ソフィアは窓辺で手紙を読んでいる。窓からさし込む光がその顔を照らしている。髪はうしろに引きつめているが、髪飾りに散りばめた小粒の真珠が光を反射して、地味な髪型に映えてきらめく。黒い胴着はビロードと銀の縞模様で、すみれ色の絹のドレスは白めのような光沢を帯びている。
部屋の奥には木製のレールからタペストリーが掛かり、壁の影になった部分に絵が何枚かのぞいている。ベッドをぐるりと囲む緑色のビロードのカーテンは束ねてあるので、贅沢なベッドカバーが目に入る。部屋は穏やかな金色の光に満ちていた。
手紙にはこう書かれていた。「もう手遅れだ。ぼくたちふたりとも、それがわかっている。きみにどうしても会いたい。明日の四時、ぼくのアトリエで」
* * *
▼「訳者あとがき」より
本書を読んでいると、作者はこの時代の代表的な画家フェルメールの《窓辺で手紙を読む女》をヒントに、この物語をつむいだのではないかと思えてくる。窓辺からさし込む光を受けて、豪奢な室内で恋文とおぼしき手紙を読んでいる若い女性は、ソフィアそのものではないだろうか。実際、この小説の陰の主役は十七世紀のオランダ絵画といってもさしつかえない。
当時のオランダはその経済的繁栄を土台に、一般市民が芸術のパトロンとなり、都市の住民たちのあいだで絵画の収集・鑑賞が流行していた。本文中にもさまざまな画家が実名で言及されているほか、当時の絵がカラーで十六点も挿入されている。寡作で知られるフェルメールのものが三点、レンブラントの《ダナエ》、そのほか当時の風俗画家ヘラルト・テル・ボルフやニコラス・マースなどの作品もある。いずれも「手紙」、「女主人と女中」、「秘めごと」といった本書のキーワードともいうべき題材がモチーフである。
|
チューリップ熱
デボラ・モガー著/立石 光子 訳 税込価格2310円 (本体価格2200円) 繁栄を誇る17世紀のアムステルダムに燃えあがる豪商の若妻と貧しい画家の不倫の炎。折からのチューリップ投機熱を利用した愛人たちの策謀は成功するのか。小説の面白さここに極まる。カラー図版多数。 |



