内容説明
【第三回日本翻訳大賞受賞作品】
グアテマラ出身の鬼才によるオートフィクションの最前線
少数派として生きる人々との出会いを通じ、自らのルーツとアイデンティティを、
独特のオートフィクション的手法で探求する12の物語。
69752。
ポーランド生まれの祖父の左腕には、色褪せた緑の5桁の数字があった――
アウシュヴィッツを生き延び、戦後グアテマラにたどり着いた祖父の物語の謎をめぐる表題作ほか、異色の連作12篇。
ラテンアメリカ文学の新世代として国際的な注目を集めるグアテマラ出身の鬼才、初の日本オリジナル短篇集。
「突然、左手に鈍い痛みを覚えた。少し前から左の拳を握っていたこと、握った拳に力を入れすぎていたことに自分でも気づかずにいた。でも、たとえ痛くても、私は拳を開きたくなかった。[中略]そこに私のもうひとつの名前、ヘブライ語の名前があるのを――黒いインクで掌の線のあいだに書いてあるのを――見るのが怖かったのだろう。ニッシム。私が生まれて八日目、ユダヤの伝統に従い、またエドゥアルドがヘブライ語の名前でなかったことから、父は私にヘブライ語でニッシムと名づけた。あるいは奇跡。」(「修道院」より)
「ハルフォンは語られた内容や意味そのものよりも『語る』(あるいは『騙る』)という行為自体に、言うなれば文学的真実のメカニズムそのものに取り憑かれているようだ。」(「訳者あとがき」より)
「彼方の」:グアテマラシティの大学で短篇小説の授業を講じる「私」は、隠れた詩才をもつ学生フアン・カレルと出会う。だが、ある日を境に突然授業に出てこなくなり、その後退学したことが判明する。彼の身を案じる「私」は、フアンの実家を訪ねて先住民の村に向かう。
「エピストロフィー」:アンティグアで開かれた文化フェスティバルで、「私」はセルビア人ピアニストのミラン・ラキッチと知り合う。自由な精神の持ち主であるミランの演奏に魅了された「私」は、彼がジプシーの血を引いていることを知る。
「ピルエット」:ノマドのように世界を渡り歩くミランから、次々と送られてくる謎めいた絵葉書。最後に届いた一枚を頼りに「私」はベオグラードを訪れ、本場のジプシー音楽とミランの影を追い求めて、戦争の傷痕の残る街をさまよい歩く。
「修道院」:正統派ユダヤ教徒と結婚することになった妹のために、「私」と家族は初めてエルサレムを訪れる。ユダヤ教の狭量さに辟易した「私」は結婚式には出ないと宣言するが、式の当日、偶然再会した旧知のイスラエル人女性タマラとともに死海に向かい、自らのユダヤ性について思いを巡らせる。
[目次]
彼方の
トウェインしながら
エピストロフィー
テルアビブは竈(かまど)のような暑さだった
白い煙
ポーランドのボクサー
絵葉書
幽霊
ピルエット
ポヴォア講演
さまざまな日没
修道院
訳者あとがき
[原題]El boxeador polaco
[著者略歴]
エドゥアルド・ハルフォン Eduardo Halfon
1971年グアテマラシティ生まれ。父方、母方の双方にユダヤ系のルーツを持つ。10歳のとき、内戦を逃れて一家でアメリカに移住。ノースカロライナ州立大学工学部で学ぶ。卒業後グアテマラに帰国。フランシスコ・マロキン大学で教鞭を執りながら執筆活動を開始。2007年、コロンビアのボゴタ市で開催されたHay Festivalで「39歳以下のラテンアメリカ文学注目作家」の一人に選ばれる。2008年に刊行したEl Boxeador Polacoが国際的な注目を集め、英語ほか5か国語に翻訳された。そのうちの一篇をもとに書き上げられた中篇La Pirueta (2010)は2009年度ホセ・マリア・デ・ペレーダ賞を受賞。2011年グッゲンハイム奨学金を取得。最新作はSignor Hoffman (2015)。本書『ポーランドのボクサー』はEl Boxeador Polaco, La PiruetaおよびMonasterio (2014)の三作を著者自身の手で一冊にまとめた日本オリジナル短篇集である。
[訳者略歴]
松本健二(まつもと・けんじ)
1968年生。大阪大学言語文化研究科准教授。ラテンアメリカ文学研究。訳書にR・ボラーニョ『通話』、『売女の人殺し』、A・サンブラ『盆栽/木々の私生活』(白水社)など。
*略歴は刊行時のものです