内容説明
〈信じる〉ことは、なぜいつも困難なのか?
一方に朽ち果てる大伽藍、目を転じれば無数の「野生人」と「素朴な人々」……フェティシズムの発見からオリエンタル・ルネサンスを経て社会学の誕生までを描く初めての思想史。
「宗教と政治をめぐるこの一連の論争を読み返してわかるのは、それがいわば十九世紀の「司祭」と「野生人」による社会の主導権争いの様相を帯びていたということである。司祭の役目は野放図な遊牧民に規律と教養を与え、彼らを文明化・社会化することにある。野生人とはもはや西欧から遥か彼方の未開の民ではなく、現実の十九世紀フランスの民衆像そのものだとすれば、文明化の使命の論理は西欧の外部だけでなく、いやむしろその内部の「文明が生み出した野生人たち」(ユゴー)にこそ適用されねばならない。」(第七章より)
ポピュリズムとデモクラシーの深層へ
東日本大震災とそれに続く東電福島第一原発事故は、科学と社会に深刻な亀裂をもたらした。どの情報が正しいのか? 誰を信じればいいのか? 突然「聖性」を帯びた〈反原発学者〉の姿は、さながら聖人を思わせるものがあった。
本書は、『労働階級と危険な階級』のルイ・シュヴァリエや『預言者の時代』のポール・べニシューに触発されつつ、カトリックの大伽藍が崩壊した大革命以降の歴史を司祭(エリート)と野生人(民衆)の抗争として描く試みである。
その際、鍵となるのは、〈フェティシズム〉という概念である。
旧体制を批判する一環としてあらゆる事物の起源が探究された啓蒙主義の時代、この概念は言語の起源や宗教の起源への関心の下、古代人(エジプト人)と野生人(アフリカ黒人)の信仰として見出されたが、19世紀に民衆が「文明社会に侵入した野生人」として、すなわち「危険な階級」(シュヴァリエ)として前景化してくると、その中核的な分析枠組みとして急浮上してゆく。
昨今、ポピュリズムが何かと議論になるようになったが、フェティシズムをめぐる司祭と野生人のこの抗争を読み解くことで、初めてその深層は明らかになる。その先に、信じることが、なぜいつも困難なのかの答えも見えてくるはずだ。
[目次]
序章 社会科学と世俗の宗教性
Ⅰ 異教とキリスト教の精神史――十八世紀
第一章 一神教原理と近代異教主義の相剋
第二章 啓蒙思想としてのフェティシズム概念――ド・ブロスとヒューム
第三章 宗教起源論から言語起源論へ―― ド・ブロスの象徴主義批判
第四章 ド・ブロスと十八世紀啓蒙――その思想と知的生活
Ⅱ 「自由」と「社会」のアリーナ—— 十九世紀
第五章 近代人の自由とフェティシズム――コンスタンの宗教政治学
第六章 「普遍史」とオリエント―― ミシュレとロマン主義の時代
第七章 民衆・宗教・社会学——サン=シモンとコント
第八章 権威と信頼の政治学――コントの実証主義再考
終章 ベルクソンの神秘主義思想とキリスト教
あとがき/人名索引
[著者略歴]
杉本隆司(すぎもと・たかし)
1972年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。仏ナンシー第二大学DEA課程修了。現在、一橋大学大学院社会学研究科特別研究員。著書に『社会統合と宗教的なもの』(共著、白水社)、『共和国か宗教か、それとも』(同)、訳書にマチエ『革命宗教の起源』(白水社)、コント・コレクション全二巻(同)、ド・ブロス『フェティシュ諸神の崇拝』(法政大学出版局、日仏社会学会奨励賞)他。
*略歴は刊行時のものです