小倉孝誠「マルクスからゾラへ 第二回 新たなゾラ像の構築に向けて」

 前回は、スパーバーの『マルクス』に端を発して、フランス留学時代の思い出話にページを費やした。30年前パリの閑静な住宅街の一角で、マルクスの曾孫ロベール=ジャン・ロンゲと共有したかけがえのない時間という幸福な記憶が、ふとしたことでたぐり寄せられたのだった。いずれにしても、私自身マルクスの著作にある種の執着と思い入れがあるのは事実だし、とりわけ20世紀後半に華やかな展開を見せたマルクス主義的な文学批評にはかなり影響を受けたと思う。
 日本でも諸外国でも、思想としてのマルクス主義は1980年代にその影響力が大きく後退したが、近年の格差社会と不平等の固定化という問題が、今あらためてマルクスの思想に人々の目を向けさせている。経済のグローバル化とは、資本の剝き出しの暴力性が国境を越えて広がったということを意味する。今年初めに来日したフランスの経済学者トマ・ピケティが、全世界的な規模で進行している格差の拡大に警鐘を鳴らして共感を得たのも、そのためである。彼の著作の邦題は『21世紀の資本』だが、より正しくは『21世紀の資本論』ではなかろうか。原題に見えるLe Capitalというフランス語は「資本」を意味すると同時に、マルクスの『資本論』のフランス語のタイトルでもあるのだから。

マルクス主義批評とゾラ

 さて、今回の話の中心はエミール・ゾラ(1840-1902)。
 マルクス(1818-1883)とゾラの間に、直接的なつながりがあったということではない。マルクスはフランス語を容易に読めたし、フランス文学に関する造詣も深かった。バルザックを高く評価していたことは、前回述べたとおりである。年代的に言えば、晩年のマルクスがゾラの作品を読んだ可能性は高いが、私はその辺の事情に詳しくない。他方ゾラはマルクスの思想について知っていたし、マルクスの著作を読んでいたらしい。ただし、彼の書簡集を読むかぎり何を読んだかは明示されていないし、読書ノートの類も残っていない。
 とはいえ、『ジェルミナール』(1885)では北フランスの炭鉱地帯における労働者と資本家の対立を描き、『パリ』(1898)では世紀末フランスを震撼させたアナーキズムテロを物語の要素として採り入れ、『労働』(1901)では労働者の理想都市ボークレールを構想したゾラだから、資本と労働の問題を注視していたことは疑いの余地がない。『金』(1891)という1864-69年のパリを舞台にした金融小説では、シジスモンという名の社会主義者が登場し、マルクスと手紙の遣り取りをするという興味深い設定になっている。
 ゾラは『ルーゴン=マッカール叢書』(1871-1893)の作者として知名度が高いわりに、かつて批評や研究の領域では不遇な作家だった。戦前から戦後のある時期まで、日本でも一定のインパクトを発揮したマルクス主義批評と、その流れを汲む批評にしても、バルザック、スタンダール、ボードレールを精緻に分析することはあったが、ゾラに対しては冷淡な態度を示した。19世紀の大きな社会的うねりを最も体系的に表象した作家の一人として、マルクス主義的な問いかけに適した文学世界であるにもかかわらず、である。事情はヨーロッパでも同じで、たとえば20世紀マルクス主義美学を代表する一人、ハンガリーのルカーチにその傾向が明らかである。個人と社会を弁証法的に描き、人間の全体性を描きつくしたバルザックやトルストイと比較しながら、ルカーチは、ゾラが近代のもたらした多様な変貌を認識しながらも、図式的な決定論に囚われて、社会のダイナミズムを十分に表象できていない、と『リアリズム論』(1955)の中で批判した。
 しかし、この批判はかならずしも的確ではない。バルザック(1799-1850)が『人間喜劇』の中で描いた世界は、基本的に産業革命以前の世界である。フランス革命とその後の民主化の流れがもたらした近代性の諸相、貴族階級の避けがたい没落とブルジョワジーの台頭は鮮やかに語られているが、第四の階級である「民衆」や匿名の「群衆」は登場しない。他方ゾラは、産業革命が経済、社会、心性の分野で引き起こした地殻変動と、資本と労働の葛藤のメカニズムを最もみごとに物語った作家なのだ。ゾラについての認識は根本的に刷新される必要があった。
 他方で、フランクフルト学派・ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』について言えば、ゾラは大いなる不在者である。壮大な19世紀パリ論のためのノートであるこの著作において、ベンヤミンが特権化している作家はバルザック、ユゴー、ゴーティエ、そしてボードレールであり、ゾラについてはほとんど言及がない。『パサージュ論』は未完で、しかも覚え書の段階に留まったテキストだから、欠落は不可避であろう。しかし第二帝政期のパリがベンヤミンの関心の主要な対象であり、だからこそボードレールの『パリの憂鬱』や美術評論集に頻繁に言及しているわけで、それならば第二帝政期を時代背景にした記念碑的なシリーズ『ルーゴン=マッカール叢書』への目配りがないのは、やはり重大な遺漏と言わざるをえない。

ゾラをめぐる認識の変遷

 今回ゾラについて語るのは、私が現在ゾラ論を準備中で、これまであちこちに発表したゾラに関する論考を整理し、加筆修正し、さらに書下ろしの数章を加えて一書にまとめることになっているからである(白水社より近刊予定)。私はこれまで、いくつかの本の一章で、翻訳の解説として、あるいは論文集の一章としてゾラ論を個別に発表してきた。また2002年、ゾラ没後百年を機に刊行が始まった『ゾラ・セレクション』(藤原書店)を宮下志朗氏と共同監修し、その企画の一環として『いま、なぜゾラか』(2002)と『ゾラの可能性 表象・科学・身体』(2005)を編集した。そうした活動を経て、この度まとまったゾラ論を刊行できることには、小さからぬ感慨が伴う。
 しかも、それだけではない。確かにゾラは、わが国では昔から有名な作家である。翻訳はいつの時代にも数冊は流通していて、読者は手にとることができた。仮にその作品を読んだことがなくても、ドレフュス事件に際して敢然と国家権力に立ち向かった「知識人」として、ゾラの名を記憶している人は多いだろう。何しろ高校の世界史教科書にも、彼の名前は登場するくらいだから。しかしそれは、ゾラがよく読まれてきたということを意味しない。問題は、『居酒屋』(1877)や『ナナ』(1880)などいつも同じ小説が翻訳されてきたことで、その結果、ゾラに関して固定した偏狭なイメージが出来上がってしまった。
 1960-80年代の日本では、19世紀フランス文学だけに限定しても、バルザック、スタンダール、メリメ、ネルヴァル、ボードレール、フロベール、ランボーなどの翻訳全集が刊行されたが、ゾラはそのような恩恵に浴することなく、相変わらず『居酒屋』と『ナナ』の作家でしかなかった。それは批評や研究の場でも同じで、『ルーゴン=マッカール叢書』の作家を丹念に読み、研究する批評家や大学人や学生はほとんどいなかった。小林秀雄がランボーやヴァレリーに、野間宏や寺田透がバルザックに、大岡昇平がスタンダールに、そして大江健三郎がサルトルに傾倒し、彼らを愛読し、彼らについて評論し、時にはその作品を翻訳したのと同じ程度に、戦後ゾラを熱く語った作家や批評家はいなかった。それもゾラに光が当たらなかった理由の一つだろう。
 幸いにも、日本では1990年代に入ってから状況に変化の兆しが現れた。ゾラを論じた研究書(部分的なものを含めて)がいくつか出版されるようになったし、文化史や美術史関連の著作でゾラの名前を見る機会が増えた。寺田光德の『欲望する機械』(2013)はその最も新しい成果である。若い研究者の間でも『ルーゴン=マッカール叢書』の作家に関心を抱くひとが増え、たとえば年2度開催される日本フランス語フランス文学会の大会において、ゾラに関する質の高い研究発表がしばしばなされている。私が学生だった1970-80年代と較べると、まさに隔世の感がある。先述した『ゾラ・セレクション』の企画はそのような状況下で始動し、実現したものであり、わが国ではほとんど未知の小説を翻訳し、さらにこれまで邦訳されたことのないジャーナリズム的文章、美術批評、文学批評、そして書簡集を加えることで、従来のゾラ像の一新をねらった。今日わが国におけるゾラの認知度がかつてより高いとすれば、セレクションはそれにいくらか寄与したと思う。
 私が準備中のゾラ論は、意図としては、こうした日本における「ゾラ・ルネサンス」の一翼を担うことを目指している。

ゾラの多層性

 実際、ゾラはきわめて多面的な作家である。
 まず、『居酒屋』、『ナナ』、『ジェルミナール』などを含む代表作『ルーゴン=マッカール叢書』を著わした小説家として名高い。これは第二帝政期(1852-1870)のフランス社会の諸相を、パリと地方都市を舞台に描き出した全20巻からなる代表作である。その後も『三都市』(1894-1898)や『四福音書』(1899-1903)という連作で、激動の19世紀末の不安と夢想を表現し、来るべき社会の理想を語ってみせた。これら一連の作品は、19世紀後半フランスの政治、経済、社会、文化、習俗、思想、科学などあらゆる側面を表象したフレスコ画になっている。ゾラ小説の特徴を一言で要約するならば、個人と集団の野心が激しくぶつかり合い、欲望が渦巻くドラマをつうじて、近代社会の葛藤と力学を鮮明に抉り出したということになる。
 第二に批評家としてのゾラで、ここでは二つの領域が区別できる。まず文学批評家としては、尊敬する先達としてバルザック、スタンダール、フロベール、ゴンクール兄弟を論じる評論を書き、文学と金銭、あるいは文学と共和国といった問題をつうじて作家の社会的位置を問いかけ、描写、道徳、現実の表象などレアリスム小説がはらむ基本的な美学を論じた。文学理論家として自然主義文学を定式化した功績も大きい。
 次に、美術批評家としての活動がある。1860年代、《オランピア》や《草上の昼食》で画壇にスキャンダルを巻き起こしたのがエドゥアール・マネだが、そのマネの真価を真っ先に見抜き、彼の作品を高く評価したのが他ならぬゾラである。モネ、ルノワール、セザンヌなどの印象派は現代では声価が確立しているが、1860-70年代はけっしてそうではなかった。その時代に印象派を敢然と擁護したのがゾラであり、19世紀フランスの美術批評史において、ゾラの犀利な批評を無視することはできない。
 こうした炯眼な判断が可能だったのは、ゾラがジャーナリストであり、その嗅覚が大いに役立ったからだ。ジャーナリスト・ゾラ、これが第三の側面である。幼くして父親を失い、貧しい母子家庭に育ったゾラは、生活の糧を得るため若い頃からジャーナリズムの仕事に手を染め、きわめて多忙な一時期を除いて、晩年まで新聞・雑誌に寄稿することをやめなかった。ジャーナリストの文章としては、ドレフュス事件さなかの1898年1月『オロール』紙に発表された「私は告発する!」が最も有名だろう。事件の大きな転換を画した歴史的な一文である。それ以外にも政治、教育、宗教、科学技術、女性、ユダヤ人、人口問題などあらゆる話題をめぐって無数の時評を書いた。そしてそれらのトピックがゾラ文学の主題と深く切り結んでいることは、言うまでもない。
 今回まとめるゾラ論の中で、こうした側面すべてを詳しく論じる紙幅はない。小説家としては、いくつかの作品をとおしてパリの表象を論じ、『制作』(1886)にそくして、これが近代フランス文学における芸術家小説としてどのような特質を有しているかを分析し、『ルーゴン家の繁栄』(1871)と『壊滅』(1892)にそくして、ゾラにおける歴史の組み込みを論じるつもりである。またゾラがさまざまな新聞・雑誌に発表したジャーナリスティックな記事を解説しながら、彼が同時代の文化・社会現象をどう捉え、それにどう反応したかを考察する。
 さらにゾラは立場上、同時代の作家(外国人も多数含まれる)、芸術家、政治家と親交があって数多くの書簡を交わしており、その抜粋が邦訳されている(ゾラ『書簡集 1858-1902』、小倉孝誠編)。書簡作家としてのゾラは誰に向けて、どのような書簡を書いたのか。彼の場合、手紙は単なる私的で内輪の文章に留まるものではなかった。書簡の美学と戦略を解説する一章が設けられるはずである。ご期待いただきたい。

ゾラの曾孫たち

 前回、パリの留学時代にマルクスの曾孫に会ったという話を書いた。最後に余談になるが、ゾラの曾孫について簡潔に触れておこう。マルクスのフランスにおける曾孫はすでに故人だが、ゾラの二人の曾孫は元気で存命しており、最近私はその二人に会う機会に恵まれた。去る6月11-13日、パリでゾラと自然主義をめぐる国際シンポジウムが開催され、私は発表者の一人として参加したのだが、そこで知遇を得たのである。ブリジット・エミール=ゾラとマルティーヌ・ルブロン=ゾラという名前の二人の女性。ゾラにはドゥニーズという娘と、ジャックという息子がいた。ブリジットさんはジャックの孫にあたり、マルティーヌさんはドゥニーズとその夫モーリス・ルブロンの孫にあたる。ゾラに関する国際シンポなので、主催者側が二人を招待する配慮を示したというところだろう。二人は単なる聴衆ではなく、それぞれ一セッションの司会役も務めていた。
 マルクスの曾孫といい、ゾラの曾孫といい、歴史に大きな名を刻んだ有名人の子孫であることが当人たちの意識にどう影響するのか、私には知る由もない。栄誉と思うのか、重い名前と感じるのか、それとも日常生活には何の影響もないことなのか。ブリジットさんもマルティーヌさんも、法律上そうしないことは可能なのに、姓としてあえて「ゾラ」をまとっており、それがフランス人のみならず世界中の多くの人々にとって周知の名前であることに鑑みるならば、そこにある種の矜持を見てとるべきかもしれない。

小倉孝誠(おぐら・こうせい)
1956年生まれ。フランス文学者、翻訳家。慶應義塾大学文学部教授。専門は近代フランスの文学と文化史。著書に『歴史と表象』『近代フランスの誘惑』『身体の文化史』『〈女らしさ〉の文化史』『愛の情景』『革命と反動の図像学』など。訳書にアラン・コルバン『風景と人間』、フローベール『紋切型辞典』、バルザック『あら皮』、『ラスネール回想録』(共訳)など。

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