司修「薄い桃色の迷路に誘い込まれて」

【特別寄稿】
司修「薄い桃色の迷路に誘い込まれて」
 ——『薄い桃色のかたまり』(岩松了作・演出)を観て


岩松 了 著
『薄い桃色のかたまり/少女ミウ』

 岩松了は、戯曲『薄い桃色のかたまり』について、「演じてくれるさいたまゴールド・シアターの面々の演技を観ていると、これはすでにファンタジーではないのか、と思ってしまう」といっています。
 実は、本を読む前にぼくは芝居を観てしまったのです。だから、「演じてくれるさいたまゴールド・シアターの面々の演技」が、どうしてこうも生々しく、書かれた物語から、「帰りたくても帰れない人々」の生活空間となって目の前にあるんだ、と思った瞬間、もうぼくも「帰りたくても帰れない」面々の一人になってしまっていて、永遠に終わらない「帰りたくても帰れない故郷を持つ苦い味わいのある」生活空間に閉じ込められていたのです。閉じ込められた大きな理由は、彼らが不可能という怪物に立ち向かう姿勢からでした。ごく普通の、幸福を得られた、自分たちの家に住む、という夢に突き動かされていく情熱です。
 3・11東日本大震災は、「復興」という言葉まで壊してしまったと思うのです。芝居を観た翌日、夕飯を食べていたぼくの耳に、『薄い桃色のかたまり』の続きのようなニュースが飛び込んできました。
 原発事故で福島県広野町から避難した当時八十八歳のエンドウマコトさんの娘エミコさんが、事故の翌月、東京の病院で亡くなった父の「命の重みを受け止めてもらいたい」と東京電力を訴えました。
 「自宅に戻りたいというのが(父の)最後の言葉だった……とにかく線路を歩いてでもいいから帰りたい……父の無念さを、このまま黙っていられない」。
 エミコさんの声は、『薄い桃色のかたまり』の持続であるかのようでした。3・11後、時間は刻々と過ぎていくのに、時計の針は停まったままというより逆回転しています。
 物語は、誰の責任かという闘いの闇に小さな光を通す穴を開けます。「帰れる故郷」に変えて行こうとするのです。
 岩松了の演出は、後期高齢者である演技者の“ファンタジー”を引き起こします。変えるということは異次元に入るのと似ています。高齢者である住民は、長く生きた意味での知恵者であると同時に痴呆や健忘、あらぬ嫉妬や誤解を生んで、長年耐えて蓄積してしまった怒りのエネルギーをぶつけ合うのですが、それは高齢者だけではなく人間といういきものを動かす力でもあるわけです。だから滑稽で笑ってしまうのですが、すぐに我に跳ね返ってくるわけです。舞台を観ている者の明日を見せつけられるのです。演劇空間が実生活空間の延長線上にドッキングします。破壊された電車の線路を、「故郷の家に戻る」ために修復し続ける、それら全体の空気をかきまぜる風のように若者の恋が流れて、人間が永遠に持ち続けざるを得ない迷路に誘い込まれるのでした。
(つかさ・おさむ=画家・作家)

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