松本健二「〈ボラーニョ・コレクション〉完結に寄せて」

 〈ボラーニョ・コレクション〉は時系列で三群に分類できる。①『ムッシュー・パン』、『第三帝国』/②『アメリカ大陸のナチ文学』、『はるかな星』、『通話』/③『チリ夜想曲』、『売女の人殺し』、『鼻持ちならないガウチョ』。
 ①は本腰を入れて小説を書き始めた一九八〇年代から九〇年代初頭にかけての習作期。②は九〇年代半ば、初長篇『野生の探偵たち』(一九九八)でブレイクするまでの最盛期。③は二十一世紀になる前後、死を前に『2666』にとりかかっていた円熟期。こうして見ると、小説家としての活動期間が二十年にも満たない事実に改めて気づく。
 小説家になる前のボラーニョは詩人をやっていた。詩人とは小説家と違って職業ではない。詩人「をやる」というのは、世界文学という輝かしい共和国の辺境にあるスラム街で食うや食わずの暮らしを送り、読み手を永久に得られない可能性の高い戯言を書き続けて恬然としていることだ。現在、ボラーニョの詩の大半は『未知の大学』という題で没後に刊行されたアンソロジー(二〇〇七、未邦訳)に収録されているが、小説作品を読解するヒントになるエキサイティングな言葉が満載で、ボラーニョの詩人としての顔を知るうえでも実に貴重な一冊といえる。
 この他、小説では中篇『スケートリンク』、『護符』、『アントワープ』、『短いルンペン小説』の四作が未邦訳。加えて没後に刊行された長篇『SFの精神』、『真の警官の苦しみ』、短篇集『悪の秘密』、中篇三作の合冊『カウボーイたちの墓』など、未発表原稿の発掘が今なお後を絶たない。
 日本で翻訳出版されたラテンアメリカ(以下LA)作家の個人コレクションは、ボルヘスとガルシア=マルケスに次いで三人目。だがボラーニョは、二人に比べていまだ評価が定まっていない印象も受ける。それはおそらくLA文学に関して二つの虚像が形成されてきたからだろう。
 ひとつは頭打ちになった近代小説に劇薬にも似た刺激を与えたとする「ドーピング効果論」である。だが一旦これに囚われると薬物中毒患者のごとく大物ハンティングに奔走し、女性作家が細々と書いたミニマルな生活情景等、現地で評価の高いオーソドックスな小説を軽視しがち。
 もうひとつは研究業界に根強い「社会貢献論」だ。出身地域固有の後進性や生存条件をめぐる諸問題と真摯に向き合った痕跡は評価の対象となるが、そうした批判性の希薄な「単なる」詩は蔑みの対象になる。
 普遍的な文学価値の創出と、土着的な問題意識。この二つの軸はLA文学の《ブーム》の時代に幸福な婚姻関係にあった。仲立ちしていたのはキューバ革命。しかしカストロ亡き今、魔術的リアリズムはマクドナルド化して安価で流通し、インターネットを開けばベネズエラ情勢について小説などよりずっと説得力のある生の情報が得られるようになった。世界文学の起爆剤……抵抗の砦……そんなレッテルを貼れる相手が見えにくくなった。私たちはLA文学受容に関するパラダイム転換の現場にいると言っていい。
 《ブーム》世代の後継者、中南米の過酷な現実を鋭く告発する文学……とかを求めて読むと、ボラーニョはなんとなく腑に落ちない作家である。十九世紀小説を規範としつつフォークナーやカフカを吸収して育った世代には、SFやノワールといったサブジャンル小説を貪欲に読んでいたボラーニョの文学はどこか捉えどころがないのかもしれない。カルロス・フエンテスのようにボラーニョを黙殺した大物作家も少なくないが、それはおそらく、マッチョな彼らが、妙になよなよした感じのこの奇矯な元詩人作家が醸し出すオーラに馴染めなかったからだろう。
 ボラーニョ文学で何よりも特筆すべきは、詩との親和性である。小説作法や文体上の技巧からボルヘスやコルタサルとの関係も指摘されるが、チリをはじめとする現代スペイン語詩が過去一世紀足らずの間に辿ってきた道をある程度知っていると、それこそ涙なしには読めないようなエピソードが山のようにある。たとえば短篇「エンリケ・リンとの邂逅」(『売女の人殺し』)を読むだけで、私には、チリの若い作家や読者がボラーニョに寄せる信頼と熱い共感の理由がよく分かるのだ。
 さらに、詩人体質の人物が現実の裂け目に得体の知れない巨悪を幻視するという物語は、現在の「南の視点」からして、そう特異なものではない。メキシコでは高校の歴史教科書にも記述のあるシウダーフアレス女性連続殺人事件が、一九七三年のチリ軍事クーデター、あるいは第二次世界大戦の惨禍にまで連結していくというのは、ボラーニョ特有の世界観というわけではなく、中南米の新しい世代の創造者たちが共有する視座である。それはグローバル社会の末端に現われる暴力をより普遍的な問題と重ね合わせる強固な詩的ヴィジョンだ。若い世代がボラーニョを支持するのは、彼が直観した恐怖を生々しい現実として日々生きているからである。
 ボラーニョはLA文学に新たな道を切り開いた。ただし、後を追う若い作家たちも、彼のエピゴーネンではない。魔術的リアリズムや超大作は過去の遺物と化し、テーマや作風も多岐にわたる。もしかすると彼らはボラーニョに勇気づけられたスラム街の詩人なのかもしれない。
(まつもと・けんじ/大阪大学准教授)

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