第3回 インド人の英語




▲デリー東部の公立校で英語の授業を受ける子どもたち。英語が苦手な教員のためにNGO が教材作成や授業で支援している。

 インドと言えば、「英語と数学の大国」と言われて久しい。それでは、実際にインド人の何割が英語を話せるのだろうか。
 八割? 半分? それ以下?
 インド応用経済研究所(NCAER)の研究者らが二〇一三年にまとめたインドの高等教育に関する報告などによると、英語を流暢に話せるのは四%ほど。「一定レベル話せて意思疎通できる」とまで定義を広げると、その数は二〇%ほどとみられるという。
 割合で言えば、思ったほど多くない、というのが私の実感だ。「割合で言えば」と加えた理由は、一三億人近いインドの総人口から言えば「四%」の実数は約五〇〇〇万人でスペインの総人口を上回り、二〇%となれば二億人を超えるからだ。
 インドでは、英語が話せなければ政官財界のエリートになることも、高給取りになることも難しい。
 憲法で「最高裁での審理と判決は英語で行う」とされており、英語がわからないと法曹の世界には入れない。インドの法体系や司法・行政制度は英国統治時代のものをベースとしている。
 また、インドは各州の公用語だけで二二もある多言語社会。最高裁が使用言語を英語に絞るのは、法廷でさまざまな言語が入り乱れると審理が混乱する、という理由もあるとみられる。
 司法が英語に依拠とする以上、行政府も立法府も英語を無視できない。憲法では、国会ではヒンディー語と英語を用い、憲法制定から一五年後にヒンディー語に一本化するとされていたが、タミル語を話す南部を中心に「ヒンディー語の押しつけ」との批判が高まり、英語が使われ続けている。外務省をはじめ省庁の会見もほぼ英語だ。経済のグローバル化等で英語を話す利点がさらに注目されるようになった。NCAERの報告では、英語を流暢に話す人は、片言しか話せない人よりも収入が十四%多いという。
 いまインドで起きているのは、英語で授業を行う学校への進学ブームだ。
 教育計画行政大の調査では、初等・中等教育のうち英語教育の学校に通う生徒数が二〇一三年度までの五年で約二倍となり、約三〇〇〇万人。デリー首都圏では約四九%が英語教育校に通う。その多くが私立。英語を流暢に話す官僚や政治家、知識人のほとんどは、こうした学校の卒業生だ。教育評論家のアバ・アダムス氏は「保護者は子どもの将来を拡げるため、競って子どもを私立に入れ、英語を身につけさせる。だから各地で英語教育校が次々と生まれている」と語る。
 そして「私立もピンからキリまであるが、どんな最低な私立校でも、教員がちゃんと毎日学校に来て、授業がある。地方の公立は崩壊状態で、教員不足で授業がないことすら当たり前の危機的な状況」と指摘し、「私たちは大きな火薬庫の上に座っているような気がする。お金を出して良い教育を受けることができない人々はどうすればいいのか。いつか、機会を奪われたままの若者たちの不満が爆発するのではないか」とため息をついた。
 「五〇〇〇万人」あるいは「二億人超」はたしかに巨大な数字で、インド進出をめざす各国企業にとっても魅力的だ。では英語を話せない、あるいは英語を身につけられるほどの教育を受けられない九六%、あるいは八〇%の人々をどうするか。
 与党インド人民党はヒンドゥーナショナリズムを基盤とするが、ヒンディー語への統一は過去の経緯からも難しいだろう。では地元言語だけで豊かに暮らせる社会をつくるのか。公教育を改善して英語シフトを強めるのか。発展と大国化をめざすインドの、大きな課題である。

◇かんどう・よしひろ=ジャーナリスト。一九七〇年、広島市生まれ。九四年、朝日新聞社に入社。中東特派員、ニューデリー支局長などを務め、「アラブの春」やシリア内戦、二〇一四年インド下院選などを取材。一六年に独立。

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