岡崎武志「愛書狂」第45回

 

 テレビの町歩きや旅もの番組で、続けて「熱海」を取り上げていた。千三百年の歴史を持つ関東屈指の温泉街も一時期寂れていたが、いま人気観光地として甦ったという。古びた喫茶、レストラン、駄菓子屋のレトロ感が、若者にも受けている▼しかし、どうかと思うのが、名物の寛一・お宮の像。女性を足蹴にする姿が観光名所なのは、世界でも稀だろう。我々旧世代は、これが尾崎紅葉『金色夜叉』の名場面を写したものと知っている。若者や外国人旅行者は、いったいこれをどう見るだろうと心配になる▼とは言いながら、私だって『金色夜叉』は読んでいない。この明治三十年代に「読売新聞」で連載された未完の小説は多大な読者を獲得。続、続々と書き継がれ、芝居・映画・流行歌・講談・浪曲、果ては宴会芸で再生産され人口に膾炙する。原作は読まなくても、誰でも「今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」(原作とは違う)のセリフは言えるのだ。そんな小説、いま、ある?▼角川ソフィア文庫に「ビギナーズ・クラシックス 近代文学編」があり、『金色夜叉』も収録。粗筋、現代語訳、解説、図版で作品世界を凝縮し、若い読者にも味わえる工夫が満載だ▼恋人・お宮に裏切られ絶望し、高利貸に転身したエリート寛一。この「高利貸」に「アイス」のルビが……。解説によれば、甘くて冷たい「アイスクリーム」と「甘言を弄して人を誘うが、その実は冷酷」なイメージを重ねているという。高級なダジャレだ。一度、アイスをなめながら寛一・お宮像を眺めてみたい。 (野)

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